「私にとっての仕事」

「私にとっての仕事」というタイトルでasahi.comに養老孟司が仕事についてのコラムを寄せている。
筆者は諸般の事情から「仕事」とは何か、についてつねづね非常に関心があり、社会学的・哲学的考察を重ねている。
そもそも「仕事」に関心を持ったのは、思春期に塾通いのために初めて毎日のように体験することになった、ラッシュ時の通勤電車体験だ。
筆者高校時代(15年前)の、通勤電車体験とはこういうことである。つまり、いい年をした大人が、みんなスーツを着てきちんとした身なりで、ぎゅうぎゅう詰めで電車に乗っている。スーツはグシャグシャ、口臭、体臭で社内はひどい臭い。こんな非人間的な、憲法が保証するそれ以下であることは間違いないような生活品質が現実にあるというのは、筆者にとって信じられない驚きであった。
筆者は、その当時から変なエリート選民意識があったために、まさか自分が大人になったときはこんな「痛勤」はしないで済むはずだと思っていた。
ところが大学を出て就職して結婚してみたところ、見事なまでに痛勤にハマっていたのである。都心にある会社と、郊外の自宅(賃貸マンション)との往復。
仕事内容は仕事内容で、基本的にはつまらない。その上、定年近くまでずっとこの混雑した電車に揺られ続けるのかと思うとこれはもう絶対にいやだった。囚人になった気分である。
というわけで、筆者の二十代というのは、この痛勤人生からいかに逃れるかに焦点が絞られていた気がする。結果として、逃れることに成功した。
仕事に就くというふうにいった場合、仕事内容そのものよりも、最近では仕事をするために付随するすべての「経験」を総合的にとらえる必要があるだろう。
Text by Tetsuya Ichikawa
Alt-fetish.com
info@alt-fetish.com