イラク人質反省

 パスポートに書いてあるから、旅行者は守ってもらえるとか、憲法で移動の自由がある、取材の自由があるからと、イラクへ行った人たちのことは責められないという風なことをブログに書いたら過去最高数のコメントで一斉に批判を浴びた。
 今日のテレビなどを見るにつけ小泉首相とか、たいへんな心労で涙ぐみながら苦言を呈しているさまに、ちょっと反省している筆者である。
 とくに高遠さん(女性でボランティア活動をしていた)が、イラクで活動を続けたいと言っているのをみて、どうしてイラクなんだろう、って思った。日本にだってボランティア精神を発揮して手をさしのべるべき対象の人はいる。
 たとえば、教育の現場では公立学校の底辺校で荒廃が進んでいるという。そうした荒れた学校に通う生徒のために、町の寺子屋的な塾を運営するとか、そういうこと。それだってボランティアとしてやりがいがありそうなものだが。
 多くのコメントに共通していたのが、自己責任という言葉である。まあそれはもっともなんだけれども、じつは彼ら三人がなんであそこまでリスクを取らなければならなかったのか、にも注意してみる必要がある。
 あの3人に共通しているのは、少なくともいい大学を出ていい会社にはいるという、高度経済成長のときに信じられていた人生のレールを歩んではいないという点だ。そして、もう一つ、イラクで自分の人生の新しい境地を切り開こうとしている点である。
 少子化が進む日本では、需要が増えないために企業収益は構造的に頭打ちである。そうした中で、必然的に社会の閉塞感は進み、将来に希望のもてない人たちが増えてきている。そうしたなかで、自分の人生からより多くの意味、意義を見いだしたいと考えている人たちが、今回のようにリスクを引き受けることもめずらしくなくなっている。
 だから、筆者は彼ら3人に対し、イラクに行くなんて考えずに、ほかのことで生き甲斐を見いだしてみたらどうなんだ、ほかの仕事を見つけてみたらどうなんだ。そしてこんな仕事があるんだよってきちんと言えないのであれば、いくら自己責任だ、他人に迷惑かけるななどといっても、まったく説得力を持たないだろう。
 ただ、やはり大勢の国民の税金が、彼らのために使われたのは紛れもない事実である。イラクへ行ったのは彼らのミスだったことは否めない。そういう点では、公明党とかがいいだしている、部分的に移動の自由を制限する法律を制定することもやむを得まい。いまのように、法的に自由が認められていると、外務大臣などが「(危ないところへ行くのは)やめていただきたい」と弱々しく申し入れるのが精一杯で、それじゃああんまりだと思うから。
 以前、警告を無視して川の中州でバーベキューをしていた何組かの家族が、増水で全部押し流されてみんなおぼれ死んでしまった事件があった。何となくそれを思い出した。