ゴミにかける熱い思い

 私は家の家事のうち、料理を作る、洗濯物をたたんでしまう、以外のすべてをやっている。汚れ物を洗う、掃除する、洗濯して干す、ゴミを捨てる、電球交換、消耗品調達、エアコンフィルター清掃、風呂沸かしなどである。かれこれ10年くらいやっている(なんだか偉そうだな)。
 家の秩序と生活の質を高く維持する家事における最大のポイントはなにか? ズバリ、それはゴミの処分だ。
 突然だが、人間はウンコをするイキモノだ。快適な排便があってこその健康、幸せ、そして美である。人間が集まって暮らす家もまた、ウンコをする。それがゴミだ。ゴミがきちんとでない家は不健康だ。美しくゴミを出すことが、人生の成功のカギといってもいいすぎではない。
 みなさんゴミってすごいめんどうくさいと思っていやしませんか? 私も死ぬほど面倒くさい。いやです。やりたくありません。しかし、ゴミを捨てないとどんどん荒廃する。何しろ子供もいるし、なにやら実家から大量のゴミおっと失礼、子供が喜びそうなプラスチック製のおもちゃ類やら、食べきれないほどの果物などが業務用の段ボール箱で定期的に送られてくる(妻の実家が小売業経営のため)。段ボールはでかいし、毎回2個以上である。毎週のように宅急便でゴミが基、妻の実家から贈り物が届く。開けてちょっと使って子が飽きたおもちゃ、食べきれず腐らせたりする果物はすなわちゴミとなる。放っておけば家庭環境はたちまち荒廃。家事担当としては喫緊の、ミッションとなる。
 東京は地価が高い。居住面積を少しでも広く取りたかったら、床をふさぐもの(収納家具=ゴミの集積場とかいろんなごちゃごちゃしたもの)をゴミとしてまるごと排出するほかはない。ゴミを出す=土地を買うということと、こうなったらもはや同義だ。さらにゴミがでるということは、掃除をした結果である。掃除をしたということは家が綺麗になったということ。ゴミを出せば、土地も増えて家もきれいになるし、広々する。土地を買うというのは人の一生でもっとも高い買い物。それがゴミを出すだけで実現できるとなるとやらないわけにはいかないし、非常に重要性をおびてくる。劇的ビフォーアフター、毎週観ているリフォーム番組だが、一番劇的なのはリフォームではなく、あらかじめ「問題を抱えていた家族」が持っていた大量のゴミ、これまた失礼、家財道具や思い出の品々が消えることだ。
 ゴミ出しはもはや私の「ミッション」だ。もし私が起業すれば、まずオフィスの美化清掃はどうするか、またその結果でるゴミはどうするかを考えるだろう。そのコストをいかに削減して効率よく美化を実施していくか。これを考える作業こそじつにクリエイティブで、まさに社長冥利に尽きる作業だ。
 最近筆者の自治体は、もえるゴミともえないゴミが有料となった。45リットルのゴミ袋は一枚80円もする。燃えるゴミと燃えないゴミを減らすためには、無料で持っていってもらえる資源ゴミを増やしたり、またゴミ処理機を買ってゴミの容量を減らすようにしている。最近、ゴミを燃やそうと思って焼却炉を買ったのだが、条例で家庭でのたき火が禁じられていることが分かり、3回使用しただけでヤフオクで処分する「事件」があった。これは残念だった。断裁はゴミのスペシャリストにとって最近の関心事である。DMは個人情報の宝庫だし、銀行などからも重要なものが印刷されてとどく。すべて断裁するのだが、驚くべきことに、断裁片は資源ゴミにならない。嵩もあって悩ましく、これを燃やして一挙に解決しようとしていただけに、つくづく焼却炉の件は残念であった。
 生来の怠け者にとってゴミ仕事はすぐにイヤになるが、これは生きている限り続けなければならない。それだったら楽しくしようと、数万円する巨大ゴミボックスを買った。また、ダストペールも6個も買ってしまった。ナショナルの生ゴミ処理機を含めれば、ゴミの秩序のために、10万を越える出費である。すごい。これだけ金をかければ、イヤなゴミ仕事もまだ頑張れそうな気がしてきた。トラック運転手が自分のトラックをゴテゴテ飾り立てる心境だ。
 最近捨てたユニークなゴミ、それは父が所属していた文藝家協会の会費の請求書だ。もう死んだ父の著作権を管理するために、そんな金を払うなんてもったいないのである。父は生前、文藝家協会員であることを誇りにしていた。私もまあそんな父がうれしかった。そうした思い出も請求書と一緒にゴミとなった。文藝年鑑に父の名前が載るとせっかくのたいそうな年鑑もゴミになる。ゴミのスペシャリストとしてはゴミを減らすことも忘れるわけにはいかない。
家庭ゴミのスペシャリスト市川哲也
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