リズムよりも旋律

 最近ではようやく加齢により消え去った筆者のアイドルのCDを買う消費行動。しかしふと耳に入ったスピードのホワイト・ラブという曲の旋律があまりにも美しかったので、さっそく近所の中古CD屋でスピードのベストアルバムを買って聴いてみた。
 このアルバムのジャケットは豪勢で、4人のノーメイクの顔のアップがきれいに印刷されている。なんだこのスピードというのは、全員、完全に子供ではないかと思った。
 妻に聴くとデビュー時は小学六年生で、解散するときも十代だったようだ。
 スピード四人の年齢が、まだ権利能力のない未成年であるにもかかわらず、このように一定の時間拘束されて写真に撮られ、歌を歌わされて商品として仕立て上げられていたんだなと思うと、たとえば風邪ひいたり、おなかが痛かったりしてもステージに上がらなければならないような場合に彼女たちがどんなだったかを思うと、ちょっとやり切れない気持ちにもなる。
 それに義務教育の重要な期間に、私立中学も受験することなく、というか十分な勉強時間も確保する機会を与えられないまま、二十歳前には解散という形で放り出してしまう音楽産業はなかなかむごいと思った。
 歌詞を読むと「抱いていて」などというセックスをほうふつとさせる用語も頻出し、キワどい。こんなきわどい歌を、また未成年に歌わせるなんて、オトナっちゅうのはなんて悪いんだって(以下繰り返し)。
 筆者が好きになる曲、それは昨日のブログにも書いたように、美しい旋律を持つ曲である。小さい頃からバイオリンを習って、音楽といえばクラシックという家庭に育った私が、音楽に求めるのは、今はやりのビートの利いた喧しいのじゃなくて、旋律なのである。
 というか、リズムが利いたのはうるさいというより、身体が反応してくれない。運動神経が非常によろしくないので……。
 別に運動神経に関わらず、いい音楽というのは、美しい普遍性のある旋律を持っている。
 言い訳じゃないが、筆者がアイドルを好きになるのは、曲の旋律がいいからだ。いい旋律を持つものしかCDは買わない。だからコンサートに行ったり、ブロマイドを買ったりは絶対にしない。
 筆者が生まれてこのかたもっともはまったアイドルは、田村絵里子とプリンセスプリンセスである。高校時代の話で、絶対に人にいえない超恥ずかしい趣味だ。もしかすると、ラバーフェチということよりも自分としては恥ずかしい過去である。しかし、プリプリの曲とか、最高によかった。また、アイドルではないが、オペラ座の怪人とかレ・ミゼラブルのような、アンドリュー・ロイド・ウェーバーなどの英国ミュージカルの日本版にもはまった。あれらも曲があまりにも美しかった。
 もし、高校時代がスピードと重なっていたら、間違いなくスピードにはまっていたに違いない。今や解散し跡形もないスピードを見ると、じつによく作られていると感心することしきりだ。メインボーカルのヒロコの、振り絞るようなクリアな歌声。幼い美少女が一生懸命に歌い踊るビジュアルのもつ、本源的な魅力。
 今は、どんなに曲がよくてもある克服法によってさっさと忘れることにしている。今さらながらに気づくが、ポップスの旋律は所詮ポップス、底が浅いのである(クラシックと比べて)。だから、ヘッドフォンをかけて大音量で、はまった曲を何十回と繰り返し聞いていれば、翌日以降二度と聴きたくなくなる。まさしく消費である。
 スピードは解散してネット上でもあまり情報が得られなかったが、島袋寛子はhiroとしてエイベックスからソロデビューしたようで、筆者としては4人のうちこの人をいちばん応援したいと思った。なんといっても歌がうまいから。残滓にしては惜しい逸材に違いない。
Text by Tetsuya Ichikawa
Alt-fetish.com