日産FUGA──物欲をめぐる冒険

 30歳を過ぎて早2年。人生折り返し地点をまわり、転がり落ちるようなスピードで無為な日常を過ごす今日この頃、筆者の新たな物欲がはげしい萌芽を見せている。資本主義の勝利だ。
 この歳になってメチャメチャ欲しく、その物欲があらゆるエネルギーの源、アドレナリンドピュドピュの原因となっているものは、クルマと家である。家は別の機会に譲るとして、クルマ。平和時も長く続いているこの日本のもの作りの頂点を極めているといっていい日本車。なかでもシフトザフューチャーのNISSAN、日産車が激萌だ。日産車をはげしく意識するようになったのは、TIANAからである。ティアナ。名前も素晴らしいがCMも卓越していた。モダンリビングという考え方をクルマに持ち込んだという。事実車内は本当にラグジュアリーな、リラックスする空間であることがウェブカタログからは伝わってくる。街で見かけるそのスタイリングは、ドキドキして目が離せなくなるあの感覚を思い起こさせる。そう、ロングブーツをペットリと履いた女の人を見たときのあの興奮だ。
 フェティシストは、何でも形から入る。形から入って、形で終わる。すべて形だ。外観こそすべてである。フェティシストが反応するのはまず外観だ。外観以外に何を評価しろというのか。最近では外観以外に評価すべきなのは「登記」であるということが分かってきた。
 話がそれた。
 最近もっとも感動したのは、10/14にデビューとなった日産のFUGAというスポーツセダンである。スポーツセダンというよりも、スポーツもこなす、セダンといったほうがいいかもしれない。
 しかし私が常に惹かれるのは、クルマのスポーツユーティリティーではない。中身である(さっきは外観といったじゃないか)。いや、正確には中身の、外観だ。人はそれをインテリアという。
 ティアナをこのクルマは(筆者のなかで)みごと超えた(価格も倍近いんだが……)。このクルマはもはや芸術品といっていい。しかもすごいのは、芸術品を庶民でも買える値段で量産していることである。そしてそれが芸術品であり、買うことの喜びを最大限へともっていってくれる緻密で味わい深い広告。
 ウェブで見ると、ヘッドライトには地球に前後するふたつの惑星。走る様子は、疾走する馬。インテリアはなんと、クラシックコンサートホールである。そしてそのムービーのためにたぶんこれはオリジナルの曲まで使っている。弦楽器のインストルメンタルである。脱帽だ。
 もともとこの手のクルマに酔いはじめたのは、じつはトヨタのプログレからだった。クルマといえば移動手段、単なる道具に過ぎないと思っていた私を、それを上質な動くリビングルームにしてくれたのは私のなかではプログレを知ってからだった。日産ティアナもそうだが、それはアエラとかPENといったそこそこのインテリやら高所得者が読みそうな雑誌に巧みに広告を掲載した。
 そうしたイメージ戦略が私にはストライクだった。資力もないのに、自動車への妄想はふくらむばかりであった。シートに座ってハンドルを握ったときのことを想像するだけでワクワクできた。 そんなわけで最近私が気になっている日本車を紹介しよう。フーガと、ホンダのエリシオンだ。
 「じゃあおまえは何に乗っているんだ?」読者のギモンが聞こえてきそうだ。告白しよう。50ccのヤマハジョグ、これに10年近く乗っている。目を見張る環境性能と高い(対外)安全性。高級スポーツカーですら追いつけない(信号待ち明けの)加速。楽器を思わせる排気音。キーレスエントリー(またがるだけ)。「スタートボタン」(別名スタータースイッチ)を押すとかかるエンジン。驚異の燃費のよさ。トヨタのプリウスには負けたが……。あ、それと最近家族が買ったMRワゴン(スズキの軽自動車)をたまに借りて、4輪ていいなーって思ったりも、している。嗚呼いつになったら欲しい車を買えるんだろう。日々無為に過ごす低所得者の私に高級乗用車が買える日が来るのはこれらの車がいずれも生産終了になるのに十分な厚い年月を経てからだろう。とにかくいつになるかは分からない。ただ確実にいえることは、ゲンチャリには応える寒い冬はいま、確実に近づいているということぐらいだ。
 さて筆者の個人的事情はさておき、フーガの次のコピーをご覧いただきたい。これがクルマの宣伝文句かと思うような感じだ。
「フーガが感じて欲しいのは、人間の官能に響く、人間の気持ちに高揚感を呼び起こす、理屈を超えた歓び。」
 これって、キャットスーツを着ることの快楽をあの手この手で日々書きまくっているこのブログの精神と同じではないか。ははあ、このコピーを考えた担当者はこのブログの読者ではないか? パクッたな。
Text by Tetsuya Ichikawa
Alt-fetish.com