『アナと雪の女王』ありのままでの意味

皆さんには、きっとこんな経験があると思います。

すばらしい映画や、音楽を聴いたあとに、絶望感に駆られることが。何が絶望なのか、憂うつなのか言葉ではうまくあらわせない。これという現実の理由も思い当たらないんですが、とにかく抑鬱状態になってしまいます。
いま、『アナと雪の女王』というディズニーアニメをやっていて、これを観に行って私は、どうしようかっていうくらいの抑鬱状態に陥りました。もちろん、このアニメは、しょせんはディズニーのCGアニメーションであり、荒唐無稽なおとぎ話に過ぎません。紙芝居の現代版といってもいい、本質はそういうことです。しかしながら、これ観て、私の心は途方もなく揺さぶられ、映画館でひとりであろうことか、慟哭のような感じになってしまったのです。
毎日の暮らしの中で、私たちは仕事や家庭の中のそれぞれの役割を担っています。居場所があって、仕事がある。これは一見、幸せなことですし、それが出来る健康に感謝しなければなりません。ところが、人間は機械ではないのです。考える葦なのです。毎日毎日単調なことの繰り返しのせいで、味気なさとの戦いを強いられているとも言えます。
そうした味気なさ、人生に対する倦みの気持ちを吹き飛ばすのが娯楽であり、私たちが提供している「異装体験」にほかなりません。ラバーのフェティシズムです。私たちが、日常とは違うまったく違うラバーというコスチュームを身にまとって、自分自身を回復し、つまらない日常の連綿と続く強固な鎖を「魔法」で断ち切る契機は、まさにこの映画『アナと雪の女王』の主人公、エルサが王宮から逃げ出してやってきた雪山で、長年封印してきた魔法をLet it go(ありのままで)とうたいながら解放し、巨大な氷の伽藍をたち上げてこもるシーンに象徴されています。
そのシーンが公開されていますので、ご覧ください。

いかがでしたでしょうか?
自分に魔法があって、人前では絶対に隠さなければならない事情を抱えているエルサが、しがらみも過去もすべて捨てて1人、山にこもって魔法ざんまいの日々を過ごそうと決意した場面です。これまで誰にも言えずに悩んでいたけど、もう止めよう。ありのままの自分になろう、ありのままの自分の姿を見せよう。自由だし、これでいい、自分を好きになっていい。善悪もルールもないんだ、あるのは魔法を好きなだけ使える自分なんだ、その自分を信じたい──。女性、しかも美しくて、魔法という希有な力を持ち、しかも(権威を持っている)女王がこういうふうに決意して、高らかに歌い上げる様は、Mっ気のある私たちにとってたまりません。
この物語、荒唐無稽で、最初はあり得ないほど目が大きくて違和感をおぼえるディズニーのCGアニメに没頭して、心の琴線を振るわせることが出来る感性を、ラバーの美しさを愛してやまない皆様なら、きっと持っているに違いありません。
ぜひとも、このすばらしい映画をご覧になり、普段とは違う本当の自分の心の炎が消えることがないよう、みなさんでがんばりましょう。
何を頑張るかというと、確かに平和だし食えてはいるけれども、どうにも満たされずつまらなくて、ともすれば死にたくなるほど単調な毎日を、あしたもまた生き延びることをです。

140505