団塊の世代はFPを知らない

今日は所用で、出版社の社長と本のデザインをする人と会食をした。社長はたぶん60歳前後、デザイナーは50歳前後である。
彼らはすでに年金を60歳からもらうこともできない。そして、江角マキコを参考人招致する民主党にあきれてみせるなど、社会的な知識はありそうだ。少なくともスポーツ新聞じゃない新聞に毎日目を通していそう。
しかし、ふたりともFPがなにをする人なのか、どんな仕事なのか、まったく知らなかった。とほほ。
日本FP協会はFPから巻き上げた会費(年間1万2千円だったかな?確かそのくらい)をなにに使っているんだろうか。江角でも使って宣伝したほうがいいんじゃないの?
で、FPをよく知らなかった彼らが私に口々に質問したのは、
「FPって、いったいなにをしてくれるの?なにをして、誰からお金をもらうの?相談料ならば、弁護士みたいに、時間単位いくらなの?それとも税理士みたいに月極の顧問料なの?」
私の答え。
「FPは、人のライフコースにしたがっていついくらお金がかかるから、いまからこれくらいの貯金をしなさいとか、足りなければこんな借り入れが有利ですよとか、アドバイスします。(家族を抱えた場合や老後において変化するいろんなリスクへの備え方も提案します)。金融商品や預貯金の方法などを、わかりやすい図表を盛り込んだ「提案書」というかたちにまとめて、プレゼンします。相談料は提案書作成料込みで一回3万円から10万円くらいです」
社長の感想「へー。これからはそういう仕事は伸びると思うよ」(他人事かい!?)
デザイナーの感想「それでお金もらうのお? それは厳しいなあ」(本音だなー。筆者も禿同)
私の答え「ハイ、これで独立して食っている人はほとんどいません。私も単に個人的な興味関心からこの資格を取得してみたまでで、これで食っていくつもりはありません」
今日のほかの所見としては、食事をした銀座アスターのウエイトレスがみんな美しい人ばかりで、死ぬほど高い料理もこれなら癖になると思った。客は高齢者と国または会社の金で食っている土建屋の打ち合わせのようなサラリーマン集団と金持ちそうな家族連れといったセクターが、ぽつぽつと入っている感じだった。
団塊の世代の社長とブックデザイナーは語りたがりストで、自分の子供くらいに若い筆者にひたすら話し続けていた。筆者は『プロカウンセラーの聞く技術』を読んでいたので、彼らが心地よく話を続けられるよう機転を効かせ沈黙したり頷いたりして興味を持って話を聞いた。最後に彼らは「楽しかった」といって食事代はもってくれた。
あと、今日は亡くなった父の遺稿集の出版の打ち合わせで、長男の私が遺族代表としてブックデザインが完成したのでそれを見せてもらったのである。
父だったらこの本を見た瞬間饒舌にあれこれしゃべり出すに違いないと思った。本のすばらしさに見とれたために発生したわたしたちの沈黙が、父の不在感を私の中で際だたせ、不意に涙があふれた。こんな本ができたんだよと、いちばん見せたい人はもうこの世にいない。
ただ人生の徒労感、刹那さばかりが残った一日だった。ほんと、すべてがむなしくなるわ。