男女の性差が薄まる社会

 先進各国共通の現象として、社会的な性差、男女差(ジェンダー)が次第に失われてきている。
 女性向けのブランドがファッションショーで男性を使ったり、また男性向けのブランドが、女性モデルに、男性と同じようなスーツを着せたりといったことが起こっているということを新聞で読んだ。
 女性が男性向けのパンツや、スーツを身に着けると独特の魅力が出てくる。フェミニンな装いのもとでは決して表出されることがなかった魅力で、それは女性という性の枠から自由な、人間本来の持つ普遍的なパワーの片鱗だ。
 市川哲也が今回の、「男性が履きたいブーツアンケート」御礼用ポストカードのためのフォトセッションにおいて、全身を黒いラバーで覆い、グローブやマスクで皮膚のほとんどを見えない状態にし、またヘルメットやハイヒールのロングブーツといった、対象の性が異なるアイテムを身に着けることによって獲得した外観に、そのあやしげな野生のパワーが発現した。
 アンケートが終了したので、ページを公開することにする。
 ご覧いただきたいのだが、全体としてはガスマスクやヘルメット、ボンデージベルトといった「暴力」「戦闘」「強さ」を持っている。しかし、よく見ると長髪のロングヘアであり、女性的な部分もある。そもそも現実社会では成立しえないようなきわめて特殊な装いを実現している。
 私たちの現実社会では、つい最近まで「男らしさ」「女らしさ」という任意の、民衆の、勝手な基準からさまざまな抑圧や偏見を押しつけられてきた。これはしかし、企業社会や学校では依然として有効に機能している。
 つまりジェンダーの希薄化よりも圧倒的な強さで男らしさ、女らしさというのはのさばっている。
 人がフェティッシュな格好をするのも、こうした現実社会の理不尽な強制から逃れることの実践である。
 こうした消極的な理由からのフェティッシュファッションだが、冒頭で述べたように、その装いをすれば、思わぬ収穫を得ることができる。
 男とか女といった定義を、物理的に破壊して、なにか生きることの喜びのようなものを取り出そうとする、フェティッシュプレイ実践者たちの営為は、今後ますます盛んになるに違いない。
 フェチの隆盛によって社会にある差が生じている。その差は、ジェンダーに代わりうる大きな可能性を持っていると思う。人がSか、Mかという違いだ。履歴書の欄に当たり前のようにSとMの欄が設けられ、その判別があらゆるコミュニケーションの前提になっていけば、なんかすごい世の中だ。
Text by Tetsuya Ichikawa
Alt-fetish.com