「日本の」アップルミュージックストア登場

 ブツブツ文句ばかり言っていたらきっと全体ではかなり声が大きくなっていたのだろう。今日からアップルミュージックストアが日本のアップルサイトでオープンした。さっそくIDを使って曲を買おうと思ったら、私のIDではYour Billing Information Has Been Changed.iTunes以外のところで請求先情報を変えたでしょダメだよ、といわれてそれっきりそのIDではまったく曲が変えないどころかサインインもできない。どうしてもアメリカのアップルストアにサインインしてしまう(日本のアップルに電話したがもちろん解決するはずもない「MusicStoreについてはまだ私たちのところにも情報が来ていないので分かりません」)。別にいいんだけど。まだプリペードの残高が残っているから。
 アメリカのと日本のでは、微妙に違う。日本のほうがやっぱり少ないジャンルも存在する。もちろん、田村英里子は日本でしか変えない、そういうのもある。しかたないからわざわざメールアドレスを日本のMSで買うためだけに作ってサインインに成功。曲を探すことにした。
 やっぱりSMAPとかサザンとかがない。それに人によっては値段が200円とかする。例によって非常に納得行かない気分になってきた。
 カルチャーを売っているからダイソーみたいに何もかも100円にしろとはいわないが、音楽事務所やレコード会社によって曲を出さなかったりするのはどうなのか。やはりまったく小売業者として消費者の利便性を無視している。日本の音楽業界の腐れ具合がまだまだ残っているという印象だ。カルチャーの作り手と、小売業者、どっちが偉いかといったら、一番エライのは消費者、次に小売業者、最後が作り手だと思う。本だってそうだ。一部のエライ作家は除いて、消費者、→取り次ぎ→版元(出版社)という順序で部数は決定される。初版刷り部数でその作家が食えるか食えないかが決まる。作家が本を、いくらで売ってくれなどという権利はまったくない。
 音楽の作り手は作る環境においてゴージャスなスタジオ、海外録音、高額な報酬など、少しもらいすぎじゃないのか。楽曲を欧米並に一曲全部100円で売るという消費者のビジョンを、作り手、事務所、小売りが深く共感して、そのために音楽を作るおおもとのところから変えないとダメだろう。もしそうした消費者の意向を無視し、私利私欲の拡大に走るのであれば、ミュージシャンや著作権者はもはや道路公団と同じである。
 今日はまだソニーミュージックエンタテインメントが未参加だというがこれはmora.jp、ミュージックウォークマン陣営(ATRAC3陣営)の代表選手だから当たり前だろう。結局ファイルフォーマットの争いになっている。前回書いたようにATRAC3は消費者をバカにしたくそバカなファイルフォーマットで、今回のアップルミュージックストア(こちらはCDに焼けるファイルフォーマット(MP3))の登場により、早晩閉鎖を余儀なくされるに違いない。
 ITの進展は文明開化と同義、消費者に広く、安く音楽が手に入る流通環境がアッという間に整ってしまった。既存・新規問わず、国の内外を問わず、プロアマ問わず、数百万曲というとてつもない競争に音楽業界のすべての関係者が今日から曝されることになった。この競争の圧力は、自分たちが企図して作ったものではなく、アップルというなんの関係もないコンピュータメーカーが作ったものでまさに外圧。外圧による変革を余儀なくされている。この大きな時代の変革の中で、日本の音楽業界にいま差し込んでいるのは斜陽以外の何ものでもない。
小売りスタンスですから市川哲也
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