今度の選挙の本当の争点

 9・11。国民に信が問われる衆議院選挙。郵政民営化云々が私の中ではホットなテーマであった。しかし、戦後60年の節目の昨日、よく考えてみた。本当の争点は、憲法改正なのではないか?
 私は一貫して自民党や民主党による憲法の改正に反対している。なぜなら、一度変えることを許したら最後、絶対に盛り込まれるに違いない、改憲の条件緩和によって、その後はどんどん国のイヤな側面が露呈してくるはずだから。
 大江健三郎は朝日のコラムで沖縄の集団自決を例に挙げ「国民に死を強制する国家が、ジッとこっちを見ている」感じ、それがいまもってなおあるというように現代の国家権力を表現した。そのコワい国家から国民を守っているのが憲法、にほかならない。毎度のことだがそこを勘違いしちゃいけないし、それこそが憲法の最大の役割である。だから絶対に変えちゃいけない。変えやすいように変えられてしまったらもうオシマイだ。
 ドイツといえば、私ら変態がどれほどお世話になっているか分からない。私は英語でドイツ人と「暑いね、アイスがおいしい季節だね」「子供が熱を出してたいへんだったよ」などと会話を交わす。まったく普通の市民であり、隣人である。それが、つい60年ほど前には、ユダヤ人をものすごいえぐい方法で虐殺した。ドイツは過去を克服することをテーマに、この戦慄の歴史を決して忘れることなく語り継いで平和に貢献しようとがんばっている。ベルリンの一等地にホロコーストの記念館のようなものを最近も建てたらしい。
 日本はどうかというと、過去のひどいことはなかったことにして教科書からもいち早く消し去り、戦争をする「自由」の獲得をどうやらめざしている。しかしその自由というのは怪しい、危険な香りのする自由である。有事関連法案でも、国民の自由はある程度制約を加えてでも、金持ちや議員連中の自由は守るべきだ(そのためには戦争もやぶさかではない)みたいなことになっている。
 ここ数日で、あの戦争についてのいろいろと細かなディティールが戦後60年を記念してマスメディアに登場した。基本的には日本人がいかに苦しんだか、みたいな話である。当然だ。金を出すスポンサーは日本企業で、消費者に番組を見てもらってついでに自社商品を買ってもらうことでやってるんだから。気持ちよく番組を見てもらわないといけない。
 したがって気持ちよくない話題、憲法が変えられようとしているから守らなきゃならんとか、そもそもどうして戦争が起きたか、みたいなところはあまり丁寧に報道されない。私は世の中の仕組みのほとんどは法律によって決まっていると信じている。その法律を金持ちがよってたかって都合よく変えてどんどん所得格差、いわれているところの希望格差社会が出来上がりつつある。
 その世の中の方向性、仕組みを決める法律を作ったり変えられる特権的な身分は国会議員だが、肝心の議員はいま茶番に夢中だ。郵政民営化など茶番に過ぎない。本当の連中の狙いは、本当の争点は法律、憲法をいじくって、どんどんやりたいようにやろうという路線が果たして維持できるかどうか、である。だから自民でも、自民と同じ民主でも、どっちになっても同じである。この路線は、戦後60年たってもまったくかわらない、それどころかどんどん強化されている。私ら変態はそもそも平和と自由が憲法に保障されていないと絶対に生きられないとおもうがどうか?(少なくとも郵便局が民営化されようがされまいが変態には関係ない) 憲法をいじくろうとする連中に政権を渡す愚だけは避けねばならない。
九条の会の会員が立候補すれば投票する市川哲也
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