アナルに思いっきり手を突っ込むという哲学

 Alt-fetish.comではながいあいだ、内容のキャプチャ画像が掲載されていないにもかかわらず、「巨乳のラバーミストレスが自分の手をアナルにズボズボ挿入しながらマスターベーションをする」というその内容から売れ続けている「ビザール・ラボ」。
 今回この作品のDVD版(内容はまったくVHSと同じ)をリリースするにあたり、はじめて、百を超えるキャプチャ画像をアップした。これを見ただけでげっぷが出そうなくらいの、圧倒的な数のプレビューである。これがタダなのもAlt-fetish.comならでは。じっとりとお楽しみいただきたいと思う。
 筆者は早大哲学科のしがない一学生だった頃、ボードリヤール、ソシュール、デリダ、バルトなどの著書を読んで記号論や言語学の素養を獲得した(がいまは脳味噌のタンパク質がこの10年ですっかり入れ替わるのにともない、ウンコになって出てしまって久しい)。
(ウンコからの記憶を頼りに言うと)記号論では、ものの意味を表すのは言葉だけではなく、物(というか言語以外の表象物、記号)もまた言語としての機能を担っている、それが私たちの生きる世界である、そんなことである。物は物として存在しているのではなく、むしろ言語の拡張物として存在していると見るのである。
 そうすると部屋を見回すと、とたんにやかましくなってくる。さまざまな物たちが、ああだこうだと意味を主張してくる。たとえばいま手元にあるラバーキャットスーツとマスク。単なるゴム臭い、くったりとしたものに過ぎない。しかし私にとってその存在は、私の人生そのものを揺さぶる巨大な主張をともなっている。そいつはしゃべる。さあ、私を早く着て、と。そしてあなたの体液や汗、精液とともに、あなたと一緒にして欲しいと。ゴムはそう私に訴えている。
 ところが、これがアフリカの土人とされる人たちとか、タイで津波にやられてヒイヒイになっているような人たち、あるいはお受験に夢中なお母さんが見たらどうかというと、おそらくゴムは沈黙するばかりだろう。ゴムはゴム以上の何も語らない。
 ゴムが語りかけてくる、その声を聞くことができるかどうかどうかが、私は文明であると信じている。しかし問題は、その文明の住人が、ゴムフェティシストの場合、極端に少ないと言うことだ。
 しかし、少ないとはいえたしかにある。しかも世界中にある。このドイツからやってきたビザールラボを見てもそれは明らかだ。よく考えれば、目と口だけが出る真っ黒なラバーマスクや、アナルにラバーグローブを入れるという所作、これは何も誰かが教えてくれたわけでも、聖典のような普遍的な書物があるわけでもない。なのに、物理的な距離を超えて、その意味は普遍性を有している。その意味たるや、われわれのような一部の少数民族のチンポを激しくオッ立てるという珍妙な意味なんだけれども!
 目と口だけが出るラバーマスクなんて、何も分かっちゃいないひとから見るとじつに奇妙そのものだろう。妻だって絶対にマスクをかぶった私とセックスしてくれない。そんな妻と無理矢理セックスしても自分だけマスクをかぶっているという事態が寒すぎて立たないだろう。
 マスクの意味が分かる人とやってはじめて盛り上がれるのである。言葉、物が語る言葉というのは、看過されがちではあるが、確実に存在するし、とても大切だ。
Text by Tetsuya Ichikawa
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