ダウンシフト

 スローライフ、年収300万円などがキーワードとなっている、低所得時代の新しいキーワードを今日は紹介しよう。
 車のシフトチェンジで数字が低い方へとダウンするシフトチェンジ、ダウンシフト。典型例は次のようなサラリーマン氏のケースだろう。
 大手上場企業に勤める30代前半のA氏は、毎日の残業と休日出勤に心身ともにヘトヘトだった。結婚を機にこの状況を何とかしなければ、幸せな新婚生活などあり得ないことを「スローな」彼女に指摘されている。
 競争率が数十倍を超えるこの企業に内定した学生時代は有頂天だったが、給与振込口座へ振り込まれる給料は貯まる一方である。使う暇もないからだ。
 彼女はお金よりも自分と過ごす時間を重視しており、このままでは結婚すら危うい。そこで彼は、知人のつてをたどって、給料こそ高くないものの、もっと時間が自由になる職場へ転職することに決めた。
 子供を作る予定のない彼らふたり。しばらくは賃貸で東京で暮らし、将来は沖縄へ移住しようと思っている───。
 このケースにおける彼の転職という判断こそまさにダウンシフトの典型例である。この転職と結婚によって、所得が減り、時間が増えて精神的な自由度は増すだろう。こうしたゆとりをあこがれだけではなく、実行するのが、かつてなく容易になっている。というのも、所得にこだわらなければ企業はあらゆる非正社員のポストを用意している。もちろん1年とか2年の期限が来ればまたイチから職探しだが、非正社員の比率が非常に伸びている昨今、再契約はさほど困難ではないだろう。
 ところで先日、警察官と結婚した親戚の結婚披露宴に列席してみた。披露宴会場には、「○○警察署署長」だの「何とか部長」だの「次長」だの「巡査部長」だの、肩書きだけは立派な、しかし外観はいかにもダメそうな関係者が大勢いた。日頃成田空港を警備しているある警察官は、新郎の同僚と言うことで泥酔状態のまま余興をはじめ、ヘヴィメタをやりだして、一生に一度の思い出であるはずの披露宴すべてが台無しになってしまった。その後の余興も彼の暴走は続き、マイクを奪って何杯もグラスをイッキのみし、怒鳴り声で新郎新婦にキスを強要するのである。
 酔った人間に対して何らかの評価を下すのはフェアではないと思いながらも、警察官という職業がたいへんなストレスをともなうものであることが彼の飲みっぷりから容易に分かる。
 あとで訊くと、28歳の警察官(巡査部長)の新郎の手取りは40万円、ボーナスは一回に60万円という。月の半分は夜勤だとか、なんだで家にいない。転勤も多いらしく、しかも生命はつねに危険に瀕している。ろくな仕事ではない。何たって、スピーチした「署長」たる人物がひどかった。こんなのが?みたいな。普通の民間企業では最初にリストラされているようなタイプである(つまり彼の職業選択は大正解だったといえる)。そういう署長の命令には絶対服従しなきゃならないような仕事は筆者としては収入云々よりも人間の尊厳があるのでごめん被りたい。
 披露宴に列席している警察官は、みな制服は着ておらず礼服姿なので、外観はもちろん警察官だとは分からない。では何に見えたか。
 公立中学校によくいる、目立たない、勉強もできるでもできないでもない、まじめで素直そうな連中である。
 そういうキャラが薄い、不器用そうな人たちを一律に雇って警察に仕立て上げている、それが国家である。
 彼らがもし警官を解雇されたらどうするのか。きっと何の技能もなく、職にあぶれるだろう。かといって、こんな地味キャラに「ダウンシフト」などと吹聴してみたところで何にもならないに違いない……親戚のめでたい席でひとり薄暗い妄想に沈む筆者であった。
 ああでも、公務員というつらい仕事、理不尽で面白くない、非人間的な仕事を選んでしまった人にも、Alt-fetish.comがあると思うと、パッと明るい気分になった。あのスピーチした署長だって、ラバーフェチかも知れない。だとしたらなんと愛すべき素晴らしい上司だろう。ラバーフェチって素晴らしい。嫌いな人でもラバーフェチなら好きになれるんだから。
 それは人間存在に対する共感というもので、もっと普遍的なものになると博愛、ということになり、キリストとか仏陀とか、大作とかいろんな人がいってマス。でも話が広がりすぎると全然ダメ。とたんに嘘臭くなる。「ラバーフェチ」くらいの狭さがリアルなのである。リアルであるためには、それくらいが限度なのではないか、と思う。
Text by Tetsuya Ichikawa
Alt-fetish.com