ドロンジョ様のフェティシズムと西武グループ創始者堤

 1972年生まれの筆者は、タツノコプロのタイムボカンシリーズ、キャシャーン、ガッチャマンを熱が出るほど視聴してきた幼少時代を持つ。
 筆者が、黒いブーツ、ボンデージファッション、ラバーマスク、グローブの虜になっていまに至っているのももちろん、こうしたアニメのせいにほかならない。
 幼い頃の私にとって、「ボカーン」とかいう爆発音とともにボロボロになってもすぐに生き返るドロンジョ様の不屈の生命力とコスチュームに、毎度異様な興奮を来していたのだ。
 そもそもなんであのかっこうなのかが、私には当然分からなかった。SMに由来するとか、そういうのはもちろん不明である。ただいきなり、目の前にドロンジョが現れたのである。何がなんだか分からないんだけれども、すごいエロイし、迫力がある女性。余計に興奮する。ブラウン管を通じて圧倒的なインパクトとともに、それはあらわれ、幼い私の妖しげな性欲をチロチロと刺激し続ける色香を放ったのだ。
 私の郷里は中央線沿線で、アニメプロダクションが林立する日本でも有数の「ヘンな街」。タツノコプロがある国分寺はほんの数駅先の近さだし、同じく必然性なきボンデージファッションで私のフンヤチンにニトロを注ぎ続けたコナンを作ったジブリも近い。こう考えると、私はまさに地域で作られた変態のゆりかごによって育まれたといえよう。
 東京の私の家では9chはどっかのローカル局が映るが、夕方とかふとした時間にどういうワケかこの30年以上前のアニメを放映しているのである。それで妻(まったく変態ではない)と一緒に、「この爆発音、懐かしいね」などといってチラ見しているのだが。
 変態となってしまった私にとっては、懐かしいどころの騒ぎではない。すべての女性はドロンジョ様であって欲しいくらいな勢いでガン見している。
 じつは私に限らず、多くのAlt-fetish.comのクライアントがドロンジョの名をあげ、タツノコプロの何らかの作品をあげる。彼らフェティシストに多大な影響を及ぼしたテレビ番組として、このアニメの罪は深い。
 さて話は中央線つながりで国立の話題に。国立という言葉でイメージするのは「ハイソ」「文化的」「一橋大学」「高級住宅街」そういうイメージでは? ところが実際には、国立というのは西武グループの創始者、堤康次郎が開発したものにすぎない。武蔵野の一面ののっぱらを都心にあったが手狭になった東京商科大学(現一橋大学)を誘致して学園都市にでっち上げた。しかもとてつもない額の借金をしてである。
 その堤の子供、辻井喬(堤清二)が書いた『父の肖像』を読んでいるけれどもじつに面白い。たとえば、「マスコミのいうことを鵜呑みにするのはバカ」。つまり堤康次郎にいわせるとほとんどの日本人はバカ、ということになる。いまもそうだ、これは。
 この本を読むと、戦前と何ら変わることなく、バカが大勢を占め、政治もなにも変わらない日本が憂鬱になってくる。彼は一般大衆を「愚衆」として、また女性を、「性的対象に過ぎない」から参政権は無用と斬って捨てた。
 そして堤は官僚が大嫌いだった。百姓出身の実業家から見ると、官僚なんてワケがワカランイキモノに見えた。
 ただ彼のいう愚衆の中にもがんばって官僚になった人もいる。そういうのがいま彼に復讐しているんだろう。彼といってもその子供だが。
 その中央線だが、沿線は自由な気風あふれるカルチャー都市として全国的に有名なスポットを数多く抱える。たぶんもともと金持ちが別送的に開発したという由来から、いまもお金持ちの親に扶養される自由な金のあるすねかじりがそういう「文化」らしきものを醸し出しているに違いない。それに比べて西武線沿線のイメージは無惨だ。何しろ西武人糞列車ということで、堤がはじめたことなのだが、夜は都心の人糞をさいたまの百姓が使う肥料として供給するために、西武線を使ったというのである(いまはもちろんそういうことはない)。中央線は確かに自殺者が多く「走る樹海」などと揶揄されるわけだが、死ぬにあたっても人糞列車よりはまだ中央線のほうがダイブしがいがあるということか。
Text by Tetsuya Ichikawa
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