ホリエモンが勝った

 ホリエモンであろうとなかろうと、フジテレビ、ニッポン放送というメディア企業の無様な狼狽ぶりがひどい。今さらになって話に乗ってもいい(メリットのある事業ならば提携してもいい)とか日枝だが突然態度を軟化したり。
 就職活動ではテレビ局は人気で筆者も受けたが、なんで人気かというとおもしろおかしく仕事ができるうえに給料はバカ高いからである。ところが筆者とか、まあホリエモン(同い年で同じオタク)のようなタイプは、どうやらメディア企業を牛耳るオッサンどもからは嫌われるようである。天の邪鬼なところがあるからかも知れない。あとどこか本流な感じがしないところもダメなのだろう。こうしたメディア企業に内定するには、人としての「メジャー感」が欠かせない。それはたとえば家柄だったり、ずっとやってきたことだったり、人当たりだったりと、いろいろある。
 フジの会長にしてもニッポン放送の社長にしても、ホリエモンをそこまで嫌う必要はないだろうにと思うのだが、結局、ホリエモンはああしたメディア企業には相容れない人材(キャラ、といってもいい、そのアンチメジャーなオタク感)であるから嫌われるのだ。
 しかしオタクだって人権はあるし、プライドもある。公平を信じて入社の門を叩いたものの、意味不明な理由で落とされてしまう理不尽な就職活動の経験者ならだれでも、ライブドアの味方をしたくなる気持ちというのは持ちうるはずだ。
 フジがライブドアを拒む気持ちというのは、結局内定なんぞくれてやらない、社員以外のその他大勢の大衆に対する高い壁、排他性、差別主義、エリート主義の現れである。そういうことが根本にあるから、フジ、ニッポン放送の言い分というのはどこか不思議なのであって、身勝手だし、裁判では当然、負けるのだ。
 堀江は本の中では、コストについて切々と語っている。コピー機だとか、いろんな交際費だとか、そして、人件費だとか。そういうコストカット主義が持ち込まれるのは、ニッポン放送の社員なら誰だってイヤなはず。メディア企業の連中は、電波という目に見えない、かたちのない「枠」を広告媒体として販売し、巨利を得ている。その巨利を、自分たちの気に入った人たちだけで分け合って温々暖まっている。そういう妖しげなビジネスも、昨今の「変革」の中で一定のリスクにさらされる。当然だ。これはそういう囲い込みのずるいビジネスに対する、一般人のルサンチマンをエネルギーの根幹とする変革だから、根も深いし、動きも大きいものとなろう。
Text by Tetsuya Ichikawa
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