子育てとは

 子育て、それも乳幼児から小学校までは完全なる肉体労働である。しかも無報酬。それどころかかかる経費はすべて自腹。恐ろしいことだ。通常ひとりの子供を大学卒業まで出すのにかかる子供の生活費と教育費の合計が3000万円程度とされている。うーむわたしの生命保険の額では足りないではないか、まずい……。
 最近ブログの更新が滞ったのは子供が産まれたから。(私のような)変態でも子はいるし、子は育つはず、というのが私の立場だ。なにしろ私は子育てに楽観的だ。最低限の補佐さえすれば、自動的に何とかなって、老後に面倒を見てもらえるかも知れない。見目麗しければ自分の仕事(このAlt-fetish.comのコンテンツ作り)に生かせるかも知れない。それも無料で。
 それに子供を作るというのは私ひとりでどうこうという問題ではないと思う。パートナーや、地域社会の意思決定の結果が子作りに結びつく。残念ながら(というか別に残念ではないけれど)子作りはいまの若い人たちにはあまり受け入れられない活動である。少子高齢化で。ひとつの理由を挙げるとすると、いま森羅万象あらゆるものが専門分化し、なにかコトを成そうと思ったら、ひとりの人間が一生をかけてもそれでも時間が足りないようになっている。そういう事態への無力感がニートを生み出す土壌となる。
 専門分化する最たるもの、それは言うまでもなく、人々が起きている時間の大部分を費やしている「仕事」である。1兆円という途方もない額の経常利益をはじき出すトヨタ自動車。新車を開発するために1万人を超える技術開発部隊を抱える。なかには東京大学を出て、生涯バネの研究で終わるような社員もめずらしくない。しかしこれは驚くべきコトではない。いまでは、人の仕事人生のほとんどが、じつに地味でマニアックに、専門化しているのである。
 仕事だけではない。子育てもまた、そうした専門化と無縁ではない。セックスから出産、子育て、教育、親離れ、相続に至るまで、あらゆるノウハウが蓄積されてきている。ネットで5分もあれば、そのほとんどのジャンルの最先端の専門知識を得ることができる。お受験というのも専門化の例だ。
 社会で活躍している人たちは仕事で成功した人が多い。そうした人たちの多くは子供がいなかったりいてもほとんど奥さんに任せきりのケースが多い。これは当たり前である。そうでもしない限り仕事で成功したりはできないだろう。子育てには想像以上に時間がかかる。毎日毎日、同じコトを十年以上繰り返さなければならない。その作業にはキャリアの蓄積や自分の成長(仕事の面で)などは期待できない。ハーバードに留学してMBAを取れば、帰ってきてより高級な仕事を得られるだろうが、子供をひとりふたり育てて、手が掛からなくなったから社会に戻ろうといざ就職活動をはじめても高給な仕事などまず手に入らない。せいぜい非正社員のパートタイムジョブくらいなものだ。
 育児休暇を取る男性は相変わらず非常に少数である。女性でも、結婚して子供ができ、退職すると生涯賃金が数千万円単位で減ってしまう統計もある。これは男性でもまったく事情は変わらないだろう。
 このまま専門化が進むと、子育てマニアと仕事マニアという極端な階層化が起こる可能性がある。その階層化が夫婦間で起こると不幸だ。たがいに話はまったく通じない。話が通じなければ互いへの興味関心もないし、もちろん愛情だって生まれようもない。熟年離婚はこうした理由で今後も加速するだろう。
 仕事と子育てで進む専門化。専門化のエンジンは言うまでもなくネットに象徴されるIT技術の進展だ。専門化が進めばたぶん子育ては割に合わないと言うことになって、少子高齢化は今後も絶対に進んでいくに違いない。高度情報化社会の宿命である。
 うーむじぶんの子供が産まれて間もない人間が書くブログだろうか、これが……。じつはここのところ、子育てとかでいろいろと大変で憂鬱。でも、こうして「他人事」のように評論文を書くと、幾分ストレスが緩和される。
そういう視点で今度の選挙を読むとどうか?市川哲也
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