文学とフェティシズムと女性

今日は西日本ボンデージ少女(勝手に命名)の晃子さんから村上龍のトパーズについて感想が寄せられた。文学作品が個人の変態にいかに寄与するかについて考えたい。それも真っ昼間から。
トパーズは筆者ももちろん既読だが、前回のブログで恥さらした(国連についての暗記だが間違いがやはりあった、いちいち書かないけど)ように、記憶力を読書時には働かせないので内容はほとんど覚えていない。ビデオも観たんだけどね。
そういう点では下記のように語る晃子さんの素晴らしい記憶力にはまず敬服してしまう。そしてこれだけのインパクトを晃子さんに与えたのだから、村上龍の文学世界というのはやはり個人の前頭葉にはっきりと変態の爪痕を残すのだろうと思った。
「村上龍と云えば、ヤッパ「トパーズ」ですよね。実は晃子は原作は読んで無いんですが、Videoで観ました。この作品も、私の変人度Upに大変効果が有りました。初めて観た時には、色んな意味でとてもShockを受けました」(晃子さん、以下カギかっこ内は同)
Vidoで観たというが、文字で読むよりも想像力を働かせる余地がなく、変態度への寄与は低そうである。しかし、晃子さんのように、イノセントな状態であるならば、想像しようにもネタがないので映像からはいるほかない。それでたいへんな衝撃を受けたということからもインパクトの大きさを物語っている。
「主人公の愛ちゃん(でしたよね)は風俗嬢だけど、まるでウブな少女の様。晃子は、個人的に彼女みたいな子は好感が持てます。叶わぬ恋と知りつつ、ストーカーまがいの行為までしてしまうのは美しく、哀しいです」
具体的なあらすじが記憶にないからあれだけれども、村上龍作品には割り切った、経験値の高い、すれたプロフェッショナルの女性たちが登場する。筆者にとってはそれが衝撃であったことは覚えている。筆者が読んだのは学生時代だったので、同年代、あるいはもっと若い女性が、こんな体験をしている世界があるのかという驚きである。
「それからサキ女王様や、気違いゴス夫人もイイ味出してて存在感抜群です。サキ様の「勝手にイッたら殺すわよ」この台詞、ゾクッとします」
うーん、この台詞は確かによい。男としては「女にもっとも言われてみたい言葉ベスト1」にしてもいい。筆者はM基調であるから読者諸兄はご承知置きを。
「それから、愛ちゃんに絡むS&M男達も個性が有って面白いです」
きっとこのブログの読者のみなさま、Alt-fetish.comのお客様、ほとんどが男性だが、みなさん個性があって素敵な御歴々にちがいない。そもそも貴族の遊びに由来するSMというのはブルーカラーよりもホワイトカラーのお遊戯として存在した経緯がある。缶コーヒーを買って飲むのではなく、家でお湯をわかし豆をひいてドリップして飲む、そういうような「文化の香り」がSMにはある。そこには作法があり、知恵と歴史が凝縮されている。
「愛ちゃんとサキ様の絡みは、凄くHだけど綺麗。ノンケの晃子でも目が釘付けです。愛ちゃんの可憐さと淫らさ、複雑な心理を旨く表現しています。晃子は愛ちゃんの気持ちが、自分の事の様に解ります。サキ様もゴス夫人も自分の分身みたいにも見えます」
村上一流の筆致(というかこの場合はビデオなので世界観)にうっとりとハマる女性の晃子さん。男性として、このようにフェティシストの女性が文学作品の世界に拘泥するさまを見るのは、どうだろう、不思議と心地よい気がするものだ。
結局私たち男性フェティシストは、女性にも変態であってほしいというけっして叶わない願望を共有しているのではないだろうか?
筆者は早稲田の文学部という、ちょっと頭がいかれ気味の人、ジャンキーとかもめずらしくないようなタイプの学部に在籍していた。ある日、学内に貼られたサークル部員募集のポスターに、目が釘付けになった。
「SMサークル部員募集」と、書いてあった。見たこともないくらい美しくヴァンプな、女王様が、男を足蹴にするイラスト。それはほかの、凡百の、たとえばテニスサークル部員募集などのポスターを圧倒していた。破れかけて、風に震えるその一枚の紙こそ、筆者にとって世界の中心であるようにすら見えた。
のちに、筆者がそのサークル部員募集ポスターを貼った張本人から聞いた言葉は忘れられない。
「A子は、縛って、動けなくして激しくクンニすると、びっくりするくらいの大声を出して、死ぬかと思うほど何度もオーガスムに達する」
「A子」とは、そのポスターを見てサークルに入会した他大の「部員」であった。彼はそのたった一名の「部員」を獲得したのち、ポスターをはがしてサークルとしては活動を終えた。
Text by Tetsuya Ichikawa
Alt-fetish.com