第4回YKKファスニングアワードで4608名というたいへんな数の応募数のなかから、「フェティッシュ」という作品名でみごと優秀賞(グランプリ入れて上位3名)を獲得された宮本麻希さん。前のブログで、この人の制作活動への支援を約束したAlt-fetish.comだったが、スポンサー価格でキャットスーツ(しかもマスク、グローブ、ソックス付き)を5体、ご提供申し上げることに決まった。彼女の卒業制作で使うそうである。来年大阪でやるというショーにも招待してもらえることになり、いまからたいへん楽しみである。
この人と交わした印象深い会話で、私が、家族がいるから変態をメインの生業にはしづらいと言ったところ次のようなホロリと来る回答が。
「私が娘の立場なら、とても尊敬出来る父親であると思いますし、娘さんも必ず理解してくれる時がくると思います。つまらない世間体なんかがあるのでしょうけれど、この国はもっとハジケルべきですよね!もっとオープンに、個性的に。個性って素晴らしい事ですよ。変態だって個性です。(しかも、皆結構、それぞれに変態だったりするのですから)Original Oneであるべきです。私が、少しずつでも変えていきますから。待っていて下さいね、市川さん。」
嫌がる教職員に日の丸君が代の前での起立を強制した某都知事に聞かせてやりたい、素晴らしい言葉。ジーンとしてしまった。この国を変えるんだったらまさしくこういう方法でやるべきだ。変態の勝利である。
一方で私の娘が変態の私を尊敬するようになるかどうかは微妙だ。先日もラバーキャットスーツを着ようとしただけで、「恐いの着ないで……」と泣き出した。3歳未満の幼児から見ると、この黒いべとべとした光沢を放つ物体は「恐いもの」の範疇にはいるようだ。もちろんさっさと隠しましたよ。
外見もさることながら、尊敬されないわけとしてはラバーを着るとどうにも興奮してしまうという、消し去りがたく自分に刻印された恐るべき変態性故だ。こうした欲求解消の手段に確かになりうる「変態という個性」はあまりに直截すぎて娘には正当化できない。
ただ、宮本さんが試みるように、変態に触発されたファッションの具現化ならば、芸術ということで評価の対象にもなろう。変態とビザールファッションとモードというのはやはりそれぞれ別個のものとしてまず独立したうえで相互に影響しあうのがいちばんまともである。Alt-fetish.comというサイトはそれらがごっちゃになっているのではないかという反省は常にある。もっともそれが個性となり稀少性となって独自の存在感をもたらしている点は否めない。
美しさは普遍性を持っている。変態にも美しさをまぶすことによって、普遍的な価値を獲得できる。普遍は個別よりも力を持っている。変態という個別的事情は、美の普遍の力を借りて正当性を獲得する。
娘が変態にたいしてするリアクションはあくまでひとつの反射的反応に過ぎず、そのことが即娘がノーマルであることを示すものではない。娘は娘でこれからの長い人生のあいだに、宮本さんがいうようにさまざまな個性を蓄積して、それなりの変態に育つに違いない。人間というのはまことにもっておもしろおかしい生き物なのだ。
それを変に糊塗して普通らしく振る舞うのはいい加減やめたほうがいいんじゃないか。そのほうが人はすっきりと気持ちよく生きられるだろう。宮本さんに励まされてつくづくそう思う、台風一過のさわやかな一日である。宮本さんの活躍と、それによって社会がどのようになっていくか。私たちフェティシストのライフにまたひとつ新しい楽しみが加わった。
Text by Tetsuya Ichikawa
Alt-fetish.com
“「この国を変えていきますから、待っていてくださいね」” への2件のフィードバック
コメントは停止中です。
宮本麻希さんへのプレゼント素敵ですね。彼女のショーを、二人おそろいのラバーコスチュームを決めて見に行ったら痛快かな?
あ、そうそう今度の蝦頭のテキスト「少女地獄極楽老女」は、市川さんの娘さんに対する思いやりを、随分意識しながら書きました。それにしてもクリエイティブな仕事に携わる若い女性の生き様って勇気づけられますよね。
chikaさんのブログを読んでいて、何となく私のサイトと共鳴してくれているなあって思っていた矢先だけにとてもうれしいです。しかしうーむ、いけない私はchikaさんが「好き」なサイトをみて、わが娘を使ってこんな儲け方があったのカーって膝ポンしてしまいました(冗談半分本音半分)。娘が勉強もできないし個性も持たないようなだめ人間ならば18過ぎたら考えてもいい「お仕置き」の一形態としてはあってもいいかも。