小学校の頃、「あっ!あれ見て!」と友達が指さすほうをあわててみたら「バッカが見るー」と言われたことは、ありませんかね? そんときのむなしさ。人類は、文化芸術作り出すけど、こんなのも作り出すんだなー、なんてね。
「金スマ」とういTBSのバラエティ番組で、6歳の小児ガンの子供を亡くしたヒトの再現ドラマをやっていたけれども、どうなんでしょうねこういうのは。悲しげな音楽と、深刻なナレーションがかかるVTRをスタジオで観るのは、スマップの中居とか、わけのワカラン安いタレントだとか、あとは頭のなかが空っぽの若い女性ばかり数十人。Vの合間に泣いている様子が挟まれたりしてね。ゲストが泣いている映像を小さく見せるのは、視聴者たるこちら側も、こういうふうに泣けっていう規範のつもりですか、なんだか偉そうだな。でもそれにしてはCMが多すぎてね。それに洗剤やら、クルマやら、金貸しのコマーシャルの合間に、子供がガンで死ぬ姿をネタにして差し出した親というのは、いったいいくらもらってるのやら。神経を疑う。テレビ業界に親戚でもいるのだろうか?
ヒト(というか究極的には自分)の不幸をこれほど露骨にネタにしていいんだろうかと思ったよ。しかも免許事業たるTV放送において。もちろんCMを見せるためにこういう「ネタ」を放映しているけれど、このネタの部分が近年どんどんえげつなくなっている気がする。
「あっ」と言って、視聴者の関心をテレビ画面に釘付けにしておいて、サッとコマーシャルを見せる。その「あっ」が、金スマならこうした不幸とか、他人の尋常ならぬ成功と挫折とか、危険とか、恐怖とかであるわけで。これ普段から高視聴率らしいけど、観ている人の日常はよほど退屈なのかな。もちろん私は観ませんが。
さて、件(くだん)の子供が絶命したあとに、CMが流れると、ホント「バカがみるー」と言われてがっくりした小学校時代をふと思い出した。なーんだ、みたいな。指さす方向にはいつも何もなかった。昔も、いまも。だからテレビのなかでの子供の死も、一瞬にして指さす方向、すなわちもともと何もない=虚無へと追いやられてしまう。「バカ」と一緒に。それがワカランアホなネタ提供者よ、子供もろとも虚無へ去れ。それともそれがあなたなりのとむらいの仕方? だったらいいんだけど。
Text by Tetsuya Ichikawa
Alt-fetish.com