キリスト教とはなにか?

 ヨーロッパで自然科学や哲学が発展したのはキリスト教がその由来である、ようなことを評論家の加藤周一さんがいっていた。
 すなわち、まずキリスト教の大前提として、「神」というのがある。ところが神は、あまりにも偉大だしすごいし神秘的でなぞめいていて、およそ人間のようなちっぽけな存在では理解が及ばない。
 歯が立たない。でも知りたい。「神って何?」
 ローマのバチカンに、ヨハネ・パウロ2世というカトリックのトップの人(教皇という)がいる。彼なんかは、神の代弁者として全世界のカトリック世界に君臨する。彼は神そのものではなく、選挙で選ばれるあくまでも人間界の代表であり、神のメディアである。
 そんなこんなで、神というのはとても畏れ多く、なんだか分からないけど、興味をそそる存在、人類の知的好奇心を、ここ二千年来刺激し続ける存在であったのである。
 キリスト教の教典「聖書」によればこの世界は神が作った物、「被造物」ということである。神は、器用にもこの世を7日かけて「造りあげた」ことになっている。神そのものを理解するのは無理でも、神が作った物をあれこれ調べることくらい、人間にもできる。もしかすると、神が造った物を調べて理解を積み重ねていけば、ある時神を理解できるのではないか。これが西洋文明の発展をもたらしたモティベーションである。そして現代アメリカや西洋のキリスト教が強い国では、依然としてこうした考え方から文明・科学は進歩の原動力を得ている。
 ところで筆者は神をもおそれぬフェティシストであり、変態であるが、父親は無神論者、母親はカトリックである。そして私自身は大学の西洋哲学科でたいした興味ももつことなく西洋哲学を履修し学士をとった。もちろん私自身は無神論者である。
 ところがいくら無神論とはいえ、キリスト教にはおかげさまでたいへんお世話になっている。まず私の実父母は、若い頃にキリスト教関連の研究会で知り合った(超まじめ!)。若いふたりが出会うためには、キリスト教が必要だったのである。すなわち、私が産まれるにはキリスト教がなくてはならない。みなさんがこの文章をあはは、ふうん、なるほど、バカみたいなどとそれなりにお楽しみいただけるのも、じつはキリスト教の連綿たる歴史の寄与するところ大なのである。
 聖書で、あらゆるものは神が造ったなんていうのは、視点を変えるととんでもない傲慢、尊大だといえる。つまりそんな分けないだろうと。百歩譲って、みなさんのカリスマ的なアイドルだの、天才的音楽家だの、chikaさんだのを、神が造ったというのはまあそのまますんなり飲み込めるかも知れない。しかし神が造ったのはそれだけではなく、便器、株主代表訴訟、ティッシュ、カメムシ、ジョージ・W・ブッシュ(Wはwrongの略)、ピンセット、そういうのも造ったとなると、「?」である。
 神を持ち上げすぎというか、神をとりあえず大きく持ってきておいて、あとの人間は「神」なるものに盲従すればいいやという安直さをまあニーチェは「ルサンチマン」として批判した。カトリックの連中が、ブッシュを支持しているらしいが、物の本質を見つめることなく、何となく安直に体制派に流れるキリスト教徒の困った習性の証左である。
 哲学というのは最初はまあ神が造った人間存在とはどんなものかを調べる学問だったが、そのうちに、神なんてどうでもよくなって、最近では「存在」とか「観念」「意識」といった、神とはあまり関係のない概念を扱うようになっている。
 哲学の行く末はしかし本論ではないのでおいておくとして、キリスト教に戻ろう。
 筆者が関心を持ったのは、キリスト教が、西洋文明の発展の最初の一歩を歩み出すに不可欠だったからという説を知ったから。その論法がいいではないか。まず、「神」を設定する。それは理解不可能であるとする。神は世の森羅万象を「造った」ことにする。神を知るためには世の森羅万象ひとつひとつを解明していく方法がある。
 なかなかこれはいいと思う。いろいろな物に応用できそうだ。
 ちなみに、神というのは概念であって、特定の人物だの、出来事を示すものではないと思う。だってキリストだって十字架に引っかけられて、「神よ、なんであっしをこんな目に?」というくらいだから。あ、でもそのあとに、「神」となって生き返ったんだった。でもそうすると、キリストが生きているあいだに祈った対象たる「神」はどこへいっちゃったの? あーたぶんこれは、キリスト「生き返った」→周りの人ビックリ→何がなんだか分からない→神だそうにちがいない、っちゅう、例の安直な「神」のヒトコトで全部片づける悪い癖が出たかな。キリスト教の。
 大学で宗教学でキリスト教をそれなりにやったけれどももはやそれも10年前。
 さてそろそろ、無理矢理フェティシズムにもっていって終わろう。
 SMとかフェチ出よく、修道女みたいなコスチュームが出てくるけれど、あれはキリスト教世界では非常に大きな意味を持っているに違いない。すくなくともこの日本よりは。
 日本にキリスト教みたいなのがあれば、もっともっとフェチもワクワク、ドキドキする体験になったろうに。
Text by Tetsuya Ichikawa
Alt-fetish.com

キリスト教とはなにか?” への1件のフィードバック

  1. うーむ。おもしろい説ですね。ご両親の馴れ初めのお話は初耳でした。
    そうか、キリスト教の恩恵を私も享受していたということか(笑)
    ちなみに私の立場は不可知論ざます。
    私から見ると、無神論と信仰とはコインの裏表のように見えまする。気のせいですか。

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