マーキススタイル、ヘヴィーラバーマガジン、デマスクカタログ発売

 (新雑誌発売の詳細は本文一番最後に掲載しています) ラバーフェティシズムという限られた趣味志向、ジャンル、カルチャー、性欲求のひとつのカテゴリー、それをなんと呼ぶにしても、その世界のなかでもっとも成功した賢人のひとりを挙げるとすれば、それはドイツのピーター・W・ツェルニヒをおいて他にいないでしょう。そう、ALT-FETISH.comが日本の販売代理店を務めている、あの出版社MARQUISの社主であり、写真家であり、編集者であり、デザイナーであり、映像作家であり、作家です(全部自称で、しかもラバーフェチ関連だけですが)。私市川哲也は、彼の作品の想像力にはいささか疑問符をもっていますが、少なくともその卓越したビジネスセンスと実行力は本物だと思っています。MARQUIS No.39の巻頭言で明らかにされていますが、今年(2006年)、彼は自分の名前を冠したサイトを立ち上げました。http://www.peterwczernich.com/です。
 このサイトの目的は私が拝察するに、彼が所有するスタジオ、モデルネットワーク、ヘアメークや膨大なラバーコスチュームコレクションといった資産の稼働率を上げ、収益を高めるためにほかなりません。しかも彼の「趣味」である写真撮影も実益になるのです。
「自分のエロティックな妄想で生計を立てながら、私はこの20年というもの、フェティッシュシーンで活躍してきました。ドイツ版SKIN TWO、、MARQUIS、HEAVYRUBBERといった雑誌の編集者として。ホワイト・ルーム、ラバーディシプリン、フェティッシュアカデミーといったビデオ監督として。MARQUISファッションのファッションデザイナーとして。marquis.de、heavyrubber.comといったウェブサイト管理人として。フェティッシュ小説の作家として。ボールビザール、アートビザール、MARQUISナイトといったイベントのオーガナイザーとして。そして、まずもって究極的には、写真家として。
 そうはいっても私は最初から写真家としての教育を受けてきたわけではありません。フェティッシュモデルとして十分通用するパートナーがいれば、いつでもフェティッシュフォトを撮影する機会に恵まれ、写真の腕も上達します。しかし私(妻がフェティッシュモデルのビアンカだというのはさておき)は広告業界のディレクターというキャリアスタートでしたから、写真を勉強する機会はありませんでした。
 私は当初自分の頭の中にあるイメージを、カメラマンに託しました。しかし必ずしもうまくいきませんでした。十年にわたり、私は300人のモデルを使って30万回シャッターを押しました。そしてついにカメラマンとしての、フェティッシュフォトグラファーとしてのノウハウを自分なりに習得するに至ったのです。私の作品を詳しく見たいのなら、MARQUISやヘビーラバーのサイトをチェックしてみてください」
 なるほど、ものすごい数のオン・ザ・ジョブ・トレーニングで写真術を習得したと強調しています。彼の写真の数々は、雑誌MARQUISや、HEAVY RUBBER MAGAZINEでたくさん観ることができます。しかしながら、私に言わせると、ピーターの写真には今ひとつ「エロさ」が伝わってこないと思っていますが、これは仏に唾棄するような発言でしたね(笑)。
 実際彼はどのようにしてこの地位を築いたのでしょうか? バイオグラフィーをpeterwczernich.comから見てみましょう。
20.09.1953: Born in Northern Germany
北ドイツに生まれる
1975-79: – Study of Visual Communication in Wuppertal
ビジュアルコミュニケーションを学ぶ
1982-84: – Art designer in advertising agency in New York
ニューヨークの広告代理店でアートデザイナーとして働く
1985: Starts own agency for industrial design
工業デザインの代理店を設立
1986 in London: First contacts with the new fetish scene (Ectomorph, Skin Two)
ロンドンでエクトモルフやスキンツーといった新しいフェティッシュシーンとはじめて出会う
1987-89: Publishes 7 issues of the “German Skin Two”. The magazine was so successful, that the agency was given up
ドイツ版スキン・ツーを出版。雑誌の成功を機に代理店をたたむ。
1989-94: Under the new name , the magazine now comes out in two languages (German and English). 23 issues were produced, the print run going up to 50,000 copies
ドイツ版スキン・ツーはとして、リニューアル。ドイツ版、英語版を刊行。23号まで出版。部数は5万部に及ぶ。
1989 and 1990: The two BALL BIZARRE parties were the biggest fetish events at the time. In Germany, there was no organised fetish scene then, and even in London, parties were still relatively small. The BALL BIZARRE opened the flood gates…
ふたつのボールビザール(フェティッシュパーティ)がこのころ全盛となる。ドイツではそれまでこうしたイベントはなかった。ロンドンでも依然として小規模イベントにとどまっていた。しかしこのイベント以後、シーンが大きく変わる
1994: MARQUIS was born, after the old company and magazine had been lost. It is the most successful fetish magazine today, and the only one published in three languages (German, English, Russian)
それまでの雑誌と会社をたたんで雑誌MARQUISを刊行。今日、もっとも成功している世界的フェティッシュマガジンになる。3カ国語で刊行されているフェティッシュ雑誌というのは世界でMARQUISのみ。
1997: Publication of two new magazines. TERMINATRIX is a bizarre comic and art magazine, while HEAVYRUBBER was created for advanced and dedicated rubberists. The latter has become almost as successful as MARQUIS, while the other has remained a labour of love
一歩進んだラバリストのためにHEAVYRUBBERを刊行。同年刊行したフェティッシュコミック誌は一号で終了したのに対し、HEAVYRUBBERはMARQUISと同じくらい成功した。
1996: First photo book BIZARRE BEAUTY (ISBN 3-934237-05-3)
最初の写真集ビザールビューティーを出版。
2000: The ART BIZARRE is the biggest celebration of fetish glamour ever. More than 3,000 visitors come to see bizarre fashion shows and exhibits of fetish art
2004: First comprehensive solo exhibition at the Hamburg Erotic Art Museum
2004: Publication of second photo book MEGADOLLS (Edition Reuss)
2006: In Fall: New book “101 FETISHES” (Hylas Publishing, New York)
個展開催、写真集の出版など
 アイディアは移動距離に比例するとは、マルチクリエーターの高城剛さんの言葉ですが、それを地でいくような彼の人生です。最近はドイツに建てた自分のフェティッシュ御殿におこもりのようですが、でも寒い時期はアメリカのロスとかによく行きます。
 ピーターの写真サイトが想定する顧客は次の3者となります。ピーターのもっている服や最新のエロティックスタジオを借りて、ピーターに写真を撮ってもらいたい素人。SM女王様やモデルのプロモーション撮影、そしてマスメディアの広告部門です。マスメディアの広告部門には、フェティッシュなイメージを使った商品のプロモーションなどを提案します。さすが、広告出身、抜け目ないですね。
 私はこのサイトのビジネスセンスに舌を巻きましたが、表向き、彼はあくまで「写真家」です。彼はこのサイトで、カメラマンとしてのアイデンティティを確立しようとしています。その意図は何でしょうか。ビジネスマンであると同時に結局写真好きなのでしょう。しかも自分の頭の中にある膨大なエロイメージを、何とかかたちにしたい、そういう欲求でうずうずしているのです。もっている設備や衣装とうまく整合性がとれてビジネスにもなるフェティッシュ専門写真スタジオこそ彼の究極の夢なのでしょう。年取ってきて(今年54歳)、写真撮るのがいちばんラクだから残ったというのもあるかもしれませんが……。
 彼の写真では「抜けない」という指摘はカスタマーから多々聞きます。でもそれは彼の経歴をみればあたりまえです。美術系スクール→広告宣伝会社→自分の会社設立とあることからも明らかですが、エロが彼の主舞台ではありません。グエンメディアみたいに小器用に徹することは出来ませんし、そうする意義も彼のなかには見いだせません。彼のフェティシズムはあくまでもアートです。娘もいますし……。もちろん、生活と膨大な設備投資を維持するために、やむを得ずアダルトな映像作品を作るには作るのですが、やはり徹し切れていなくて、どこか上品で「作品」ぽさがあり、抜ききれません。
 さて、このような抜ける、抜けないの言説は、アーティストとして、フェティシズム、とりわけラバーフェティシズムの地位を、世界のカルチャーシーンのなかで向上させようとがんばっているピーターの名誉を著しく汚すもので、そろそろ慎んだほうがいいですね。
 彼のその、ミッションを踏まえることなく、MARQUIS作品に触れたとしても、その解釈は限定的なものにとどまるでしょう。ピーターという天才的フェティシストが精魂込めて作り出す珠玉の作品から私たちは、ラバーフェティシズムにとりつかれた男の崇高な理想をまず読み取る必要があるのです。
 そう考えると、MARQUIS作品(ピーターが撮影した写真に限らず)というのはズリネタ消耗品では決してありません。鑑賞に値する作品であり、すべてのラバーフェティシストが享有すべき、まさに世界遺産ともいうべき価値あるものなのです。
 最近新聞で、医者と哲学者が死に際について対談していましたが、死に際、あきらめがつく人とつかない人がいるそうです。人が敷いたレールの上を走ってきただけの人はあきらめはつきません。でも、趣味があって、たとえば山登りが好きでよく山登りをしてきた人は、たくさん山にも登れたし、まあいいかと死に向かえるということです。
 そういう点では、ピーターは絶対大往生でしょう。あれだけ好き放題ですから。もちろん、一生懸命、お金を払ってフェティッシュなものを買い集め、観て、着て、楽しんでいるみなさんだって同じです。大往生は約束されたも同然です。しあわせですね。
 さて、本日よりお待たせしました、みなさんお待ちかねの話題の新雑誌、マーキススタイル発売開始しました。この雑誌はもちろん「抜く」ことを目的としている方には一切役に立ちません。ですから、純粋にこのヨーロッパ発のキンキーなファッションに関心のある方にお薦めします。ほとんどのブランドのURLが掲載されていますから、英語ご堪能ならば直接お買い求めいただくことも可能です。また、オジリナリティあふれる独自のSMプレイでアイデンティティを確立したいとお考えの女性、パーティーで誰よりも目立ちたいとお考えの女性、男性に強くお勧めします。
 また、今日からデマスクの総合カタログも発売をはじめました。このカタログはすごい、一見写真集のようですが、すべての写真に型番と品名が書いてあります(すべての商品が掲載されているわけではありません)。PDFでプライスリストと全アイテムリストをサイトに挙げてありますから、カタログを見るときは必ずご参照ください。デマスク商品はある程度英語が分かる方、半年の納期を待てる忍耐力ある方、複雑で意味不明な英単語で構成される膨大な量のオプションから自分好みのものを選び取れる頭脳をお持ちの方にのみオススメします。
 
【本日から発売】デマスクビザールラバーコレクションカタログヘヴィー・ラバー・マガジン No.20マーキス No39marquisstyle No. 01
市川哲也
ALT-FETISH.com
http://www.alt-fetish.com/
info@alt-fetish.com
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