人にとって服というのは思った以上に意味があり、また服を着ることによって人はまったく違う自分になることができる。
ここに4つの入れ物を用意しよう。いずれも買ってきてばかりの新品だ。
・ガラスのコップ
・ブルーのバケツ
・花瓶
・尿瓶(しびん)
これらの入れ物に、きれいな水を注いで、こどもに飲ませてみる。こういう実験が実際あったそうである。もちろん、中に入っている水は同じだと説明されている。こどもはしかし、バケツや尿瓶からは決して飲もうとしなかった。
外見が違うだけで、なかのものもまるで違うものになってしまう。
このたとえはもちろん、入れ物=服。水=私。今日は服の力について考えてみたい。
文明人は、制服を着る。なぜか。とくに制服が重要になるのは、警察官、医師、運転手、警備員など、それ以外の人から信用されなければ成り立たない仕事においてだ。
飲食店で働く人もそれらしい制服を身にまとったほうが、料理はおいしそうに、しかも衛生的に問題がないように思える。
着ている服によって、他人から見たときに、自分がいかようにも変わるが、じつは自分の意識も変わる。
あるウエイトレスは、普段はゴキブリが見えても悲鳴を上げて逃げるだけであったが、制服を着て店でゴキブリを見たときは、黙ってたたきつぶして処分できたそうだ。また、警察官は、制服を着ると身が引き締まる思いがするという。
このように服は着る人自身の意識も、他人が自分をどう見るかも、まったく変えてしまう大きな力を持っているのである。
ところで、人は社会的な生き物である。ウンコしたりねたり御飯を食べたいと思うのと同じように、人に認められたい、と誰しも思っている。人に認められる機会が少ないと、そういう機会を求めるようになる。自己承認は渇望される。
自己承認というのは、自分から見た自分と、他人から見た自分が乖離すればするほど、切実なものとなる。自分は、本当は女なのに、他人は自分を男としか見てくれなかったのなら、これはたいへんに苦しい。男、女のような分かりやすい対立概念ならまだいい。自分から見た自分が未だにはっきりよく分からないなかで、他人から期待されるがままに、あるいは家族や友達から適当に思い込まれているありがちな人間、いわゆる普通の人像に敏感だったらその地獄はもはや手に負えない。本当の自分が分からないにもかかわらず、とりあえず他人の評価する自分はまったく見当違いな状態が続く。つまりそれはとてつもない孤独を意味する。
自己意識の不在や、他人からの自己評価との乖離は自己承認欲求を満たさないばかりか、やっかいにも孤独という病の原因になる。
好きな服を着ることが、自分が感じる自分を社会とつなげる唯一のプロトコルになる。同じような服を着ている仲間と出会うことができる。同じ服を着ている以上、彼彼女とすぐに打ち解けるだろう。なぜなら好きな服は自分を投影したものであり、その服をあいても着ている以上、自分と同じ自分意識を持っていることになるからだ。この関係、つまり同じ服を着ている仲間同士が集まることで、孤独は消える。
好きな服がなんであれ、ラバーは汎用性のあるプロトコルだ。ラバーが好きでなくても、それを着ている自分や他人に共感できる場所にラバーを着て参加してみるといい。ビックリするほど打ち解けて、楽しいし孤独も消える。
鬱病の治療に効果があるのは運動と趣味なのだが、運動と趣味をやるには仲間が必要だ。運動だって趣味だってやろうと思えばできる。やればできる簡単なことだ。でもいつやるのかが分からない。いつまでやればいいのかも分からない。もし仲間がいたら、いつやるのか。どこでやるのか。いつまでやるのか。その決定を彼に丸投げできる。取りかかるきっかけと、続ける力を仲間に「外注」できる。あとはやるだけだ。しかもやることといったら、散歩とかジョギングといった難なくできることだし、趣味にいたっては楽しみでさえある。
簡単で、楽しいことだって、仲間がいなくて、孤独な状態ではこれはできないと思う。こうして孤独は鬱病の原因になるのである。
ALT-FETISH.comは東小金井のショールームを、ラバーを着ている人となら安心して話ができる人のための場所にすることにした。なにしろ狭いし、ボロい部屋がかただかひとつあるだけだ。本当はもっといろいろなカテゴリーの人たちに仲間との時間と場所を提供したいが、まずはラバーである。今の日本の社会で暮らすほとんどの人にとって、ラバーが好きだ言うことも、着る機会もめったにない。そんなコトしたら社会的地位を失ってしまうと思っている。本当の自分をひた隠し、他人からの視線だけに自分を合わせて孤独化し疲弊する。そういう人があまりにも多い。そしてそうした人たちを放置することは私はできない。なぜなら彼らにラバーを売ったのはほかならぬ私だから。よそから買うことになったとしても、少なくとも私は何百人という人にラバーを着付けした。みんな、元気になってた。そしてここでは、孤独を感じない。
服を着ることで自己意識と他人からの認識のギャップを埋める作業を始めよう。まずは自分は本当は何を求めているのか。どうなりたいのかを探る必要があるだろう。
子どもが、プレゼントをもらったときに、箱を振ったりひっくり返したりする。中の物が動いて、その音や振動からプレゼントの中身の見当を付けることができる。ラバーを着て集ったら、ちょうど子どもが箱の中身をたしかめるためにそうするように、自分の身体をあれこれ触ったり押したり引いたりして調べてみよう。どんな体勢や刺激、介入がいちばん自分の琴線に触れるのか。いちばんビビットな反応はなにか。それを見つけたら、それは紛れもなくあなたにとってのあなた自身そのものといえる。