最近モーリーロバートソン氏が彼のニコニコチャンネルで語っていたんですが、オフ会のたぐいをすると必ずそこに毎回やってきて、参加している女性のストーキング行為を始める輩が出ると。
誰でも気軽に参加できるパーティーやオフ会「あるある」ということで、この問題が提出する論点を今回整理して私の考えを述べたいと思います。
パーティーやオフ会というのは、そもそも論としてやる意義ってあるのかなと。目的は「交流」な訳で、非日常な空間や出会いで憂さ晴らしや自己承認欲求の充足までだと思います。ただ、それ以上は何もないし、回を重ねてメンツが固定するともはや日常化、タコツボ化して、逆に鬱屈してきます。そうなると当初の目的はかなえられなくなってしまい、オフ会は終わっていくのです。したがっって、パーティーの目的は成立しているようでじつはしていないのです。
一回しか開かないならいいかもしれません。メンツが固定しないから。また、超大規模でメンツの固定があっても人数が多すぎて毎回新しい人が発見できるならいいかもしれません。でもこれはフェチではあり得ません。
結局のところ、人類、生き物として考えた場合のヒト科の、この猿から派生し、数百万年のあいだは狩猟採集をやってきて、ここ1万年で急に農耕定着した私たちって、パーティーとかオフ会で充足される欲求はあまり普遍性を持たない虚構でしかないのではないかと。
そんなことより私は、昔のALT-FETISH.com のショールームでしばしば行われていたような、もうどんどん試着してキャットスーツ着て気持ちよくなってもらう、私(同性だから法的に問題ない)が電マ係で気持ちよさをどんどん高めてあげる。そういうふうな、猿の毛繕いレベルの営みのほうがまだ実効性があるんじゃないかと思うわけです。
あとは個人レベルで工夫してラバーに興味のある人同士がSNSで出会って交流すればよいわけで。
その方が健全だと思う。人類なんてラバー着たサルに過ぎない。
このあいだ二度目のフェチフェスに出店してはみたものの、正直メンツはだいぶ固定していました。売り物も、前回と同じくしたらほとんど売れません。
まああとは、結局オフ会パーティーのたぐいが必ずメンツ固定するのであれば、単に交流という目的ではなくて、もう一段上の、というかもう一個具体的な新しい目的を設定するのがいいと思います。私のアイディアでは、同人誌を発行してコミケなどで売るとかが考えられます。
同人誌に掲載する内容としては、オフ会やパーティーで撮影したスナップ、俳句や川柳、各種文芸作品、評論、こういうものです。
正直言って私も年取ってきてなにかこう形になるものをみんなで作っていくのがむしろ楽しいのではないかと思うようになったんです。というかもともと、私は高校時代から同人誌体質で、雑誌メディアを作るというのが無性に好きでした。
また仕事でも、定型詩の同人団体に関わったことがあり、そうした世界はとてもよいと思いました。もちろん、集まって俳句を作ればストーカーが出なくなるかというとそれはわかりません。むしろあるかもしれません。ただ一段高いハードルを設けることで、多少のガードにはなるかなと思うんですがどうでしょうか?
それに、表現活動というのは、ストーカー体質の人に取ってみても、よい気晴らしになって、ストーキング行為より表現活動のほうが楽しいって思ってもらえたらよいですよね。
たとえば私が赤根京をストーキングしたくなったとします。しかし、(匿名性が担保されたパーティーと違い)同人としての会ともなれば、面が割れているし、次回の掲載する作品も作らないと会に参加することができません。そこで、フォトショなどを勉強してあれこれ写真を加工してみたりし始めます。
たとえばこんなふうに。
こうなるともうストーキングには感心はすっかりなくなり、次はもっとよい作品を作ろうという気持ちになります。
ということで、私のポジティブ提案としては、オフ会やパーティーは何らかの表現活動を目的とする結社の形に変換すればよいという、そういう話でした。
日本には結社誌(短歌や俳句の同人活動が出す同人誌)がたくさんあって、若い人からお年寄りまで非常に盛んに行われているんです。オフ会が。
交流するなら、そういうふうな「媒体」が健全性を担保します。人間は、古来からなにかを表現するという欲求があった。この欲求をどんどん、充足させていく、表現活動を積極的に取り組んでいく。それは心の健康につながるし、ストーキングのような違法な行為をしない抑止にもなると思います。