真夏がやってきた。ラバーキャットスーツを着た女が、尻をカメラに向けて、全身の筋肉を緊張させながらポーズを取っている。カメラと機材だけは揃えたものの、撮影はずぶの素人の私が懸命にシャッターを切る。
自分が見たい映像を、ひとりでも多くの仲間に見てもらいたい一心でこうした作品造りをもう何年も続けてきた。
この作品造りでもっとも興が湧くのが、まったく新しい撮影依頼の申込である。同じ人物は二度撮らない。なぜなら、着せた衣服はまったく変わらないからだ。予算も限られ、ラバースーツで外に出かけるわけにも行かないので、結局人、場所、衣装が同じ写真しか撮れないからだ。
私たちのフェティシズムの対象は、あくまでもラバーキャットスーツであるが、それ故、ラバースーツに関心を抱く異性が現れたときに、どういうところがいいのか、にも興味が湧く。裁判官の審問のように、真実の答えを求めて質問を矢継ぎ早にしてしまう。
結局、ものごとの魅力は、1つには変わらない美しさが醸し出すのだが、見たこともない新しさも重要なファクターに違いない。前者はフェティシズム特有の拘りであり、後者は、人間という生き物一般が持つ、環境適応や進化の遺伝的運動の影響だろう。