筆者はある事情があって、さる高尚な運動系お稽古ごとの現場に立ち会うことがある。
そこにはわが娘を、将来のプリマドンナにしようと思っているのかどうだか知らないけれども、いそいそと通わせにきている「お母さんたち」を大勢目にすることができる。
単なる娘のお稽古ごとの送り迎えにもかかわらず、ヴィトンのバックを持ち、ブランドものの服を着て、もちろん娘もブランドもので固め(それもラルフローレンとかが多い)、中には外車で来ているのもいる。
いいんですよ。それはそれで。ブランドものはいいものだから高いんであって、それだけ長持ちするから結局は安いとかね。外車は安全性を買っている、見えを買っているわけではないとかさあ。
筆者は貧乏だからというよりも、もっと別の理由でそういうものにお金を使うことに反対である。
まず服やバッグについては、いくら何でもバカ高い。必要な水準を超えていると思う。つまりそれは、無駄な出費になっているということだ。また、ヴィトンはある種の不名誉なレッテル(つまり、バカの印)になっているのも気になる。車は、国産車だっていいのがたくさん出ている。
FPの常識のひとつに、いわゆる老後(通常60歳以降、平均寿命まで)、1億円かかるというのがある。あと30年やそこらでそんなに貯まるはずがないから、もう一円単位で節約している次第である。
だからどんなに金持ちであったとしても、老後のことを考えると、ブランド消費といった「無駄な」消費はしづらくなるし、オススメできない。
むしろ、高いもので見栄を張りたい、自分を着飾って豪華に見せたいという欲求が起こる根本原因を考えてみる必要がある。内面の、本当の声に耳を傾けて、書店などにたまには行ってみてはどうかと思う。2千円もしない安い単行本一冊も読めば、バカげた無駄な出費を反省し、それまで以上に豊かな人生が送れるのではないか。