包み隠す

 ラバーキャットスーツのオルタフェティッシュ、そのブログ「フェティッシュジャーナル」ならびにメルマガ「フェティッシュヴォイス」で、日々、フェティッシュな「ジャーナリズム」を発揮しているのがこの私、ラバーフェティシズム探求者、市川哲也である。
 最近はジャーナリズムもさまざまに変容している。テレビ・新聞といった既存メディアと、ネットに分かれている。ただ、分かれても結局は情報コンテンツを流通させている機能に変わりはない。変わっているのはその情報コンテンツの質と中身だ。テレビや新聞はマス向けに、ネットではよりパーソナルな需要に応えたコンテンツや報道が配信されている。
 そしてこのフェティッシュジャーナルやフェティッシュヴォイスもまた非常にパーソナルな欲求に応える使命を帯びている。だいたい、人口でいえば2~3千人、今後増えるとしてもせいぜい、1万人程度の人たちだけが密かに持つ、ある欲求。そう、ラバーフェティシズムだ。しかも、私たちが把握しているこの数は、あくまで一定のメディアリテラシーを備えたラバーフェティシストの数である。世の中にはまだまだPCが身近ではないという人がたくさんいる。残念ながら、携帯電話がいくら高機能になったとしても、携帯でしかネットにアクセスできない人には、ALT-FETISH.comは相変わらずさまざまな不便をおかけせざるを得ない。携帯向けにシステムを組むほどの余裕がないし、その余裕を許すほど市場が大きくないからだ。というのは言い訳で、携帯向けにやるといろいろとトラブルが多そうだからいやなだけ。
 私たちのフェティシズムの写真はここにたくさん掲示してある。
http://www.alt-fetish.com/cnts/gallery/index.htm
 これらの写真を、不幸にも筆者の親族は目にしてしまうことがよくある。彼らの感想はこうだ。「結局、全部包み隠すことが気持ちいいの?」 私たちラバーフェティシストとそうでない人の違いが、普通の人から見て「包んでいるかそうでないか」しかないのは、ある意味たいへん味気ないことだ。もちろんそのとおりだが、それだけではない。何で、包むかもまた非常に重要だ。ラバーで、ピッチピチに包む、しかもラバーの色は黒でなければならないのである。そして、全身を包むラバースーツやマスクの形状は、おもしろおかしさが含まれていてはならない。滑稽の要素は、いらない。かっこよくなければならない。
 昨日、革ツナギに全身をまとったライダーを目撃した。彼はコンビニに停車させて、買い物をしていた。初夏の日射しで人々の装いは軽い。明るい店内で、ギシギシッという革の擦れる音をさせながら歩くその姿はいかにもビザールだった。ビザールそのものである。普通、日常生活では人々は性を隠蔽する。誰もが、性的な興奮を喚起させるような外観をなるべく、包み隠す。革ツナギの男も、もちろんチンポを出して歩いているわけではない。しかし彼の外観の効果においては、包み隠しているがゆえに、性的な刺激を喚起させるという逆転現象が起こっている。
 フェティシズムはこのような、外観の包み隠すという一作用をもって、巧みに人々のあいだに感染する。
市川哲也
ALT-FETISH.com
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