最近、ニューハーフの人のウェブサイトを訪ねることが多い。
chikaさんのサイトからリンクでいったある女装子の方のサイトで、その人の少年時代の写真を見た。
いまももちろんきれいなのだが、少年時代のその方の姿もまたとても美しく、かわいかった。
そのかわいいルックスを、本人がどう評価したのかは分からないけれど、いまはすっかり女性になってしまっている。男として外観をもてあましてしまったのか、それとも女っぽい、などとまわりからあれこれ言われて、それだったら女になったほうがいいと思ったのか……。
私も確かに女性みたいな外観なり。いと昔、一度女装してみたことありけり。さすれば同居の親族(それも二世代上の直系尊属=ばあちゃん)そっくりの自分を鏡の中に発見し、チンポがミクロンサイズまで萎えて以来、女装とは縁なくなりぬ。
しかし最近、直系尊属を連想させるあらゆる部分をラバーマスクで隠してしまって、目と口だけ何とかメークすると、深田恭子みたいに見えなくもないことが分かり、それで何度かうれしい思いをしたことがある。
ところで女装子サイトを彷徨していて、筆者はなんだかすごく切なくなってしまった。彼女たちの肖像の背後に、永遠に喪われた少年の亡霊をみたからだ。男性であるならば、その面影から少年時代を想像し、懐かしむこともあろう。しかし女装子の場合、内面からも外観からも少年は喪われている。その喪失感の巨大さたるや、てっきり村上春樹の小説かと思うくらいだ。
外観がジェンダーを支配して、もともとの性を変える。外観というのは社会的なものだから、先天的な性は社会性の強い外観の誘惑になかなか勝てない。そうやって女性的と評価された女装子たちは容易に性を超越してしまう。実際の手続きはもちろん容易かどうかは分からないけれど、心情的には女性へとスイッチするのは簡単だと思う。
問題はそのプロセスで喪われてしまう、その人の過去。少年時代の面影。
女装子を見て感じた喪失感の本質は、少年時代とは無関係かも知れない。ただいえるのは、見ただけで喪失感を覚えさせられるような存在感を持つ女装子って、やっぱりすごいってことかな……。chikaさんて写真を撮るんだけど、何を撮っているんだろうって思う。何を、ファインダー越しに求めているのかと。いや、何も求めていないというのが実際のところかも知れないけれど、もしそれが過去に喪われてしまった彼女自身の少年の姿だったとしたら。私のこの感じ方がchikaさんの写真をなおいっそう深みのある素晴らしいものに見せてくれた。
これだけ美しい、筆者が日本でいちばん美しいと信じるラバーフェティシスト=chikaさんがなんと女性の姿をした男性であるという事実、これがやはり圧倒的にこの私を深く射抜いている。ラバーフェティシストとして果たしてこのままでいいんだろうかという。ラバーフェティシストはこれからどこへ向かうのだろうか。
Text by Tetsuya Ichikawa
Alt-fetish.com