拉致被害者を批判するのはおかしい

「若い世代は拉致当時のことをあまり知らない。26年前、学校帰りに姿を消した一人娘を捜し、夫妻は泣きながら海岸を歩き、似た少女を見ては追いかけた」(毎日新聞。横田夫妻の心境を取材して)
 メディアが報じるように、小泉首相に対し「感謝しない」などとして横田さんら拉致被害者を批判している人たちがいる。
 そもそもどんな立場の人たちが言っているのか、筆者にはまったく腑に落ちない。
 まず、内閣の長たる総理大臣に、国民がなにを感謝しなければならないというのだろう。彼は国民の代表に過ぎないのであって、彼がしたことはすべて法によって定められた権能(職務)であり、特定の国民から「感謝」されるような特定の、だれかを利するような行為は予定されていない。もちろん法的権能についての報酬なら国費から支払われている。彼に感謝する必要はないのである。
 だからそもそも、国民が総理に「感謝」するということ自体が成り立たないのである。感謝しろとは、むしろ何か違法な臭いすら感じる。
 ただし、横田夫妻は「感謝したが報じられなかった」とメディアを批判している。彼らは(意味はないけど)その誠意から首相に感謝したのである。
 インチキ国家北朝鮮に対してはまず拉致問題解決無くして一切の国庫の支出はあり得ない(そういう意味では小泉は感謝どころか批判されなければならず、それについては本人も反省していることはすでに報じられたとおりである)。それが正しい主張であって、意味不明、論拠不明な被害者家族批判は、嫌がらせ、名誉毀損の犯罪行為に等しいといわざるを得ない。
 テレビを見て、テレビに反応するような、つまりここでいう「テレビ」とは消費者金融や不健康な消費財の跋扈を許し助長する腐れメディア、資本主義のかす、濾過の必要な古い天ぷら油のようなものであるが、そういうメディアに反応する国民ではないことを筆者はこのブログの読者に切に願うばかりである。
Text by Tetsuya Ichikawa
Alt-fetish.com