久々といっても2週間くらいでしょうか。33歳ですがオナニーのこの頻度、どうですかみなさん。少ないほうなんでしょうか? 以前の職場で30代前半のオッサン(当時は私は20代だったので……)が毎朝するということを真顔でコクられて閉口したものです。私はオナニーを多頻度ですると人生のすべてにおいて投げやりになってしまうため、やりません。もちろんオナニーにも投げやりになりますから自分のなかでのフェチの熟成にもマイナスです。
今日は、ラバーキャットスーツを着て、ラバピカを塗りまくり、全身をテカテカに光沢を出したあと、ヘルメットをかぶってハアハアいう呼吸音を楽しみました。頭の先からつま先までぴかぴかに黒光りしていて、その美しい身体の造型にうっとりとしたものです。胴体から長く伸びる四股を動かすと、ラバーの表面に当たる光はさまざまに表情を変えます。これほど美しく、エロティックなものはあるのでしょうか。一方身体のほうは次第に汗ばんできました。今回、はじめて輸入したBLACKSTYLEのラバーブリーフを試していますが、なかなかよろしいようです。ただラバーも2重になると上からの触感が身体に伝わりにくくなり、今ひとつ気持ちよい刺激が鈍るという欠点はあるようです。
内橋克人さんという経済学の先生がいましてわりと好きなんですが、彼がこういっていました。資本主義は大量生産大量消費で伸びてきたが近年行き詰まっている。このままでは地球は持たないというわけです。大量消費の過程で「物」はものすごいスピードで陳腐化します。昨日買った物が今日はもう古くなっている。私はこの話を聞いて人間も陳腐化しやすい地平におかれてしまっているのが今日なのではないかと感じるのです。陳腐な人間で世の中はあふれかえっている気がします。陳腐とはここではなんの個性も深みもない、ホームセンターで売っている日用品のような人間のことです。これらの人間は長いあいだしきたりで支配された会社や陳腐な発想で造られた住宅環境のなかから出てくるものです。彼らの行動、表情、服装、言葉、思想、限度、すべてが陳腐なのです。
陳腐な人かどうかは簡単に分かります。あれ、それってどこかで聞いたことあるな、というようなことしかもっぱらいわない人のことです。どこかで聞いたことがあるかどうかを認定するには広い見聞が必要なために、陳腐な人同士では決して互いの陳腐に気がつくことはできません。
私は陳腐に対して非常に嫌悪感を覚えます。それだけに自分のオナニー、とりわけこのラバーのオナニーがとても素晴らしいものに思えるのです。これほど陳腐から遠い、深くて個性的な営みがほかにあるでしょうか? 自分はこのオナニーを誇りに思います。
今日は皇室から出てカメラオタクの公務員とメデタク結婚された高貴な方が話題になっていました。ちょっと前に、テレビで観たのですが、並べられた自慢のカメラを前にふたりはニタニタ笑っていました。カメラや鳥を観るための望遠鏡に対する強烈なフェティシズムがふたりの表情や仕草から伝わってきました。
※SALOのキャットスーツについて……生地が入るとすぐに消費してしまいどうにも追いつかないうちに11月に入ってしまい、値段も上がったようです。現在、サロ専用サイトを作っております。バリエーションも豊富に選べて、ただし値段はちょっと高め。乞うご期待。
※Alt-fetish.comは11/22~12/2の期間、発送・生産業務をお休みさせていただきます。
市川哲也
Alt-fetish.com
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“自分はこのオナニーを誇りに思います” への1件のフィードバック
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私もほぼ毎日ですね。40代に突入してますけど。
ヨメもいますけど、ラバーで光ったお姉さんたちの写真やビデオには敵いません。
投げやりにはなりませんよ。ただ何事もエロく感じるようになるだけです。
そしてそれを世間は「オヤジ化」と呼ぶのかもしれません。