5月に東小金井で店、それもこれまでのやったりやらなかったりの予約制ではなくて、予約なしで毎日やっている店を始めました。大勢のお客さんにおいでいただき、私の「やる気」が完全に復活したおめでたい令和元年の夏です。
いまは、ネットでいくらでもエロい動画が見られる、それも無料で、です。しかし、それで皆さんの満足や幸福が満たされるのでしょうか? 時間は有限です。質の高い時間を過ごすことなしに、いかなる人生の充足もないわけです。自分に嘘をつき続けて、「社会のために」「家族のために」「体面のために」なにをやってもむなしさが募るばかり。そのむなしさ、やるせなさを、けん感とか、ポピュリズム(特に排外右派ポピュリズム)で噴き上がってみたりしても、1ミリも前に進むことは出来ません。それどころか文明や民主主義といった数百年のオーダーで人類が築いてきたものを破壊する、それは病気であり疾病なのです。詳しく見てみましょう。
エコノミストの水野和夫氏が近年の著作で縷々述べているように、私たち人類がこの地球で(でっかく出たw)この数千年信奉してきた、「お金」経済。いわゆる資本主義。これがもうオワコンになってるって話。
そもそも、貨幣へのフェティシズム(拝物信仰)が資本主義の根底にあるわけだけれども、うちララバーフェチにとってはどうにもずっと、居心地が悪かった。
なぜならば店をやって分かるけれども、資本主義経済のもとで家計の主要稼得者を担う厚労省モデルがいうところの「父親」ってのは、まあこの貨幣へのフェティシズムの権化でなければならない。それがあるから奥さんも子供も養えるし、ある程度の社会的承認も得られるし、まあ、なんとかやってこられているわけで。
でも、居心地が悪いってのは当たり前で、僕たちが好きなのはこの貨幣ではなくて、ゴム、もっと言えば薄いラテックスシートで自分の体ピッタリに作られたスーツを着てそれに一体となり立ち現れる、「神様」なんだ。貨幣、紙や金属で出来た「記号」ではなく、自分の身体に宿る「神」をずっと愛してきたし、それを通じてはじめて、脳内にドーパミンとかアドレナリンとか、オキシトシンとか、いろいろ幸福になったりテンションマックスになれる、つまり忘我して紙と一体化した地平で遊べる機会が手に入る。
私たちはこそこそとラバーを着てオナニーする。変態とか言って。でも、そうさせている物語=資本主義、父親モデルの男性優位の貨幣フェティシズム、そういうのにどっぷり染まった社会だったから。でも、この5月をもって、たぶん、なにかが大きく変わった。資本主義がオワコンになっているというのは、じつは経済学者たちやいろんな研究者がもう何年も前から指摘していることなんだがれいわ新選組という政党が出てきて、その中の大西つねきっていうおじさんが「バズった」。これまでにない規模で、資本主義=オワコン説が広まったのよ、れいわ新選組は250万票以上獲得したからね。その規模の「数」、もし、経済の専門書だったらあり得ない。もちろん、れいわの中でもいろんなイシューがあって(貧困とか)、大西さんは数万だった。それでも数万というのはすごい数だし、参院選後の大西さんの動画はものすごい拡散を続けている。
れいわ新選組というバズりのガソリンに火が付いて=きっかけを得て、資本主義オワコンがばーっと広がりはじめたのが今。
だから言いたいのは、もっと堂々とラバーを着て自分たちの、貨幣を対象としたフェチではなく(そんなのは終わってるんだらから)、もっと原初的な、自分の昔から引き継いできた古い脳から来るラバーフェチに夢中になっていいんじゃないのかってこと。そしてそのことを、動画とか、街でアピールしたらどうなんだろう。
韓国へのヘイトデモが行われている道一本隔てた橋の上で、ある日、韓国の民族衣装を着た若い女性が、目隠しを付けて両手を少し広げて立った。彼女の横にはハグしませんかというボード。何人もの老若男女が、その彼女とハグをした。私はその動画を見て涙がこぼれてきた。理由は分からない。というか、理由は何でもいいしどうでもいい。重要なことは、人はふれあいによって、心によいフィードバックを得ることが出来るってこと。その経験が、平和や、人と人の関係によい効果をもたらすし、その効果は、およそヘイトデモの完璧なる真逆であるということ。ヘイトでもなんてのは絶対にヤバいし、世界にいかなる善も正しさも幸福ももたらさない。いや、ヘイトで唯一金が儲かる連中がいる。政治家や、メディア、ヘイト論者たちだ。ただ、それだってたいした金にはならない。そんなメリットなんて、ヘイトでもたらされる世界への悪の総量にくらべたら、ほぼゼロといっていいだろう。つまりやっぱり、ヘイトは悪で、不幸で、世界を間違った方向へと移行させるきわめてヤバい、犯罪、不合理、不当なものなんだ。
コミュニティーとか、国民国家、そういうのも資本主義のオワコンの流れの中で微妙に終わりの様相を呈してきた。これらはまとまってひとつの目標(要は金稼ぎ)をめざすために設定された虚構だけれども、目標が意味を失ったら当然コミュニティーも国家も意味を失う。それどころか、腐臭をただよわせはじめている。腐臭の一番の例がヘイトであり、保護主義だ。たしかに、資本主義の化け物は、断末魔の中で金融・電子空間に自分たちのフロンティアを作り出した。その過程でものすごいグローバル化が進んで、国境は意味を失った。だからその反動で、人々は国民国家に小さく閉じこもり、さらにその中にいくつものコミュニティーをつくってタコツボ化している。
でも、資本主義のあとに、そういうふうに国民国家とかに閉じこもったところで、何にもよろしくない。繰り返すが、グローバリズムとその反動である国家主義、両方ダメってこと。
じゃあどうする?資本主義オワコンていうのは簡単だし、あんた上から目線で何様感プンプン、そういうふうにわたしをディスリたいのはよく分かる。
はいはいありがとう。どうぞ最後まで聞いていってほしい、ここからアイディアを出すから。どうするか。ではどうするか。その答えを私は提示できるし、今する。
答えは、ラバーを着てハグするってこと。しかしラバーを着てってのはこのメルマガの読者がラバーフェチしかいないからそう言っているだけで、これは象徴的な意味で言ってる。ラバーを着て、オキシトシンがたぶん出る。オキシトシンはいいホルモン。愛情ホルモン。平和のホルモン。一番オキシトシンが出るのは、セックスだけど、今は鼻から吸うオキシトシンも医療機関で処方してくれる国もある。セックスも医者にかかるのもちょっと、という向きにはラバーを着てみるのが言い。
ラバー着て、本でも読んで、あとは大自然でのんびり暮らせばいいと思う。もちろん、絵を描いたり、音楽を作ったり、何らかの捜索活動をした方がいい。パートナーがいれば一番いいけれども、それは私だって苦労しているんだから簡単には言えない。自分で出来ないことをこんなブログで言うのは不誠実そのもの。
金がなくなったらどうするんだって言う人に耳寄りなお知らせが。民主党政権時代に、最低所得保障という政策が出てきた。一定の所得がない人は、減税したり、あるいはお金を政府が補填したりする。ばらまきっちゃばらまきだけど、そんなのはどうでもいい。要するにお金の面倒を政府がある程度見るよってこと。そのために、マイナンバー制度が導入された。マイナンバーで、所得を捕捉して、所得保障制度の基準所得を国民ひとりひとりについて政府が把握し、基準点を下まわった人には自動的に税率を下げたり、所得を補填する。
民主党が終わって、自民党になっても、マイナンバー制度だけは残っている。今、マイナンバーについての政府の説明を見ると、「所得が少なく生活が苦しい人などにお金を給付して生活を助ける」制度のためにマイナンバーが使われるとある。この制度の名称は、最低所得保障制度ではなくて、生活保護制度なんだけれども、これは昔からある法律、生活保護法に基づいている。生活保護法の目的はこうある。「日本国憲法第25条に規定する理念に基き、国が生活に困窮するすべての国民に対し、その困窮の程度に応じ、必要な保護を行い、その最低限度の生活を保障するとともに、その自立を助長すること」(第1条)。じゃ、憲法25条になんて書いてあるか。
「第二十五条 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。」
要するに国もラバー着て私たちが自分たちの自由や権利を存分に楽しむためには、バックアップしますよって言っている。しかもいまはマイナンバーがあるから、生活保護の面倒な手続きもかなり楽になっている。
国が応援してくれている。僕たちのラバーへの愛を。ラバーフェチを。
マイナンバーカード持っていますか? あれ、写真が必要だけど、駅にある証明写真機で申請できるよ。東小金井駅にもある。
資本主義は終わった。じゃあどうすすればいい?答えはもうおわかりでしょう。ヒガコの店に来て、マイナンバーまだの人は証明写真を駅で撮る。あとは政府に金がないことが伝わるはずだから、法に基づいて国に応援してもらいながらラバーを着る。よくない?
さて冒頭に戻りますが、東小金井のこのラバーの店は、私たちのいわば「コモン」です。コモンというのは、アメリカの政治哲学者で、デューク大学教授のマイケル・ハートが言い出した考え方です。マイケルさんは、ネグりとの共著、『帝国』三部作などで知られる気鋭の思想家です。私が今ハマっています。
コモン――それは民主的に共有されて管理される社会的な富、資産、資源のことです。いちばんでっかいそれはもちろん、このマザーシップ、地球です。地球を資本主義的な蒐集、私的所有の対象にしていいのですか?いいわけはありません。それは自明です。しかし、コモンなのにそういう対象にされてしまっている地球以外の諸々が今多すぎる。水、プラスチックが混じっていない海、大気汚染がない空。電力会社。ゴミ処理場。そして、議会制民主主義。
最後に恐縮ですが、ラバーの店、ゴムを着て自分を忘我の境地に至らせしめ、究極的には本来の自分に立ち戻ることが出来る哲学的契機を創出する場所。それがコモンとしてのラバーの店です。
その考え方を、毎週一本の短い動画でYouTubeに配信していますので、ぜひともご覧下さい。この出演者は熱心なお客さんがほとんどで、利害関係なく純粋な「活動」としてこの仕事に取り組んでくれています。つまりコモンとしてのラバー空間の管理と維持発展という、仕事です。
私たち日本人が引き続き、幸せで満ち足りた人生を送るためには、努力が欠かせません。不断の努力です。
そのためには、大局観が重要です。大局観に立つためには、雑念を捨てて一番重要な価値を取り出す身近な体験を繰り返すことがひとつの入り口になり得ます。マインドフルネスや、禅、そしてトータルエンクロージャがまさにそうでしょう。違うか……。