鈴木亜美は貴重な3年間を失った。しかし、得られた教訓は彼女本人にとってのみならず、多くの日本人にも貴重なものとなった。
タレントを見いだし、メディアに露出させるいわゆる芸能プロダクションという業種は、タレント本人でも出来なくはない。
個人で事務所を持つ有名タレントも現に多い。北野武、古館伊智郎、タモリなどだ。
こうした実力者は芸能プロダクションが強力に保持する、メディアに対する強いパイプ(プロデューサーへの盆暮れ正月などの接待攻勢)がなくても視聴率が取れるために、向こうのほうからお願いしてメディアに露出できる特権があるという側面はもちろんある。
しかし鈴木亜美はそうしたパイプがいかにもなさそうな、文芸春秋から新曲をリリースするという。そして肝心のマネージメントは家族でやっていく考えだ。
生き馬の目を抜くようなこの業界で、そんな体制でやっていけるわけがないと思うかも知れないが、最近では裸一貫で上京、渋谷街頭ライブから渋公までのし上がった川嶋あいの例がある。
日本では有名になると家族も無関係ではいられない。家族の仕事、人生にも必ず、甚大な影響が及ぶ。それは、タレントの家族にとって、いわばリスクである。
リスク取るところにリターンがあるのは当然である。芸能事務所任せにすると、リターンの多くは事務所に行っていかれてしまう。
リターンはリスクを負担した自分たちでもらいたい。至極まっとうな理屈である(芸能事務だって負担するリスクはあるが、その按分の合理性において不透明な部分がある。脱税問題が露呈した今回のケースで明らかになった問題)。こうした正論が通用しないというのは近代法治国家にあっては非常にまずいのでは?
鈴木亜美がきちんと家族(それも兄ちゃんとふたり)だけでマネージしてがんばっていくというのだから、どうだろう、応援してあげてみては? まだオフィシャルサイトは素人臭いほどにとっても遅いけれども。筆者はあのアヒル口と、涙袋のある目が嫌いではない。それに女性タレントにありがちな差し歯で歯茎真っ黒でないところが何とも初々しいではありませんか。キャットスーツ着てくれたら最高なんだけれど。
Text by Tetsuya Ichikawa
Alt-fetish.com