章ごとにアナログ時計のイラストが描いてあって、最初の章の午前零時から、最後、朝の午前7時前までの、都会でのある夜を緻密に書き込んでいる。
もっともこの本は活字が大きくてさらっと読めるので、この時刻通りに読み進むのは難しい。午前零時から読み出せば、たぶん2時前には終わってしまうだろう。
陳腐な人生設定ながら、発生する奇妙な事件、きわめて具体的な、細かい物の描写、感情吐露、会話の一貫した音楽性で、この本は相変わらず健在な村上ワールドを楽しむことができる。ただし残念なのは、やや短すぎるということだろう。
前の長い作品、『海辺のカフカ』のほうが筆者としてはよかった。というか、彼の作品は長ければ長いほどいい。もっともどっちがいい悪いとか、あらすじがどうのこうのではない気がする。村上春樹の楽しみ方は、あくまで自分の人生をより楽しくする、死ぬまでのこのひとときにちょっとした一服を得る、そういうようなものである。村上春樹の新作が出た、じゃあ読もう、読んだ、あいかわらずだ、それでホッとする、私であった。
ところで筆者の読書歴は、文芸についてはじつは貧弱かも知れない。一貫して新作を読んでいる現代作家は村上春樹だけである。それ以外はいかなる作家のものであろうとフィクションは金輪際読むつもりはない。正直言って、時間の無駄にしか思えないから(文学部卒のくせに。ほかの学部落ちたからです)。
思春期の頃読んだもので印象に残っているのは、谷崎潤一郎、太宰治、三島由紀夫(ただし仮面の告白だけ)。村上龍、山田詠美、村上春樹、島田雅彦。これだけ上げればまあ私の「趣味」というものは伝わろう。
読んだ本は二度と読むことはないが、捨てずにすべてとってある。
Text by Tetsuya Ichikawa
Alt-fetish.com
“村上春樹のアフターダーク” への4件のフィードバック
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フェティッシュジャーナルが始まった頃から「市川オススメ本」で村上春樹氏の名前が上がっていましたね。
chikaもW村上の一人としての村上春樹氏が大好きです。もう一人の龍氏もそうだけど、お二人とも「時代」にどう向き合っているか判りやすくて、読むしんどさがないんですよね。
「アフターダーク」面白そうですね。他の書評を読んでいると「ねじまき鳥」辺りの作品に対する村上氏自身のある種の答えなのではというのがあって益々読みたくなっています。
(実をいうとchikaが一番好きな春樹作品は「ねじまき鳥」なんです。「ねじまき鳥」はおおよそ解けそうにない宿題みたいな感じがあり、、その後の「カフカ」なんかは、宿題が出来ていないのに読めないって感じで未読なんですが。)
ねじまき鳥はモンゴルでしたっけ? 日本兵が生きたまま皮剥に合う描写がありましたよね。あれが私にはあまりにも強烈で……。せっかくの村上ワールドがそれで損なわれたと思いました。何もそんな描写を、古い文献を引っ張り出してきて書かなくたっていいんじゃないのって思いました。もっとも私もねじまき鳥の印象はほかの作品にくらべると強いです。
村上春樹氏は実際にモンゴルに出向いてノモンハンを視認しているようです。市川さんも既にお読みかも知れませんが『辺境・近境』 という紀行文でも、春樹氏が拘る「もう一つの世界」が度々書かれています。
つまり「暴力」や「破壊」といったものですね。ねじまき鳥で主人公の妻が行ってしまったもう一つの世界と「生きたまま皮剥」は通底してるのかとも思ったり、、この辺りは「判る人」には凄くよく判るらしいんですが、、chikaにはちょっとピンとこないんです。
ピンとくると言えば市川さんの「M・ムーアのボーリング・フォー・コロンバインを観る」はなかなか乗って書かれていて爽快でした。
特に暴走族の話と言うか視点は同感です。chikaにはどうしても「まず最初に転がり込んだアンタが悪い」という想いがあって、幼い兄弟達は本当に可哀想だけど、こういう頭の悪い暴走族を生み出し更には結婚させ子どもまで持たせる社会構造をなんとかしないとこれから、こーゆー悲劇はどんどん続くだろうなと、正直言って思っています。
恐らくchikaの考え方はそれほど異端ではない筈で、ただ日本のマスコミでは市川さんが批評しているように、そんな切り口ではきっと取り組まないだろうなっていう気がします。
立川駅とか歩いていると、ホント、大丈夫なんだろうか、この国はって気になりますよ。こういう人たちの労働と消費と倫理観、正義感によってかろうじて成り立っているわけで。あ、「こういう人たち」というのはどういう人かはいわせないでください。立川行けば分かります。小説でも、世の中に対する見方でも、「判る」側に、仮にいられたとしても何も行動できないもどかしさがありますよね。それに対して朝日新聞みたいに割り切るのもありだと思いますが。つまり援助交際女子高生(絶対に朝日新聞なんか読んでいなさそうな)に、「社説」で説教するような。読むのは援助交際女子高生から最も遠い人たちで、誰も自分に向けられたメッセージだと受け取られることなく資源ゴミとなる、そういうオナニーまがいのメッセージの発信の仕方です。ところでボーリング……を書いたら燃え尽きてネタ不足に陥りました。