AVにおけるキャットスーツ

お金持ちになれる云々本とか年収300万円時代とか、カネにまつわるあれこれが話題の昨今。
 いろいろなものの尺度を全部お金にしてしまうと、さまざまなものの価値がすべてお金で相対的に比較できるという利便性がある反面、お金では測れない、本源的な価値、人の気持ち、哲学、こういったのがないがしろにされて、いったい何を本当に信じればよいのか、あるいは、いちばん正しいのはなにか、そういうのが分からなくなりがちだ。
 それに、人々の関係もぎくしゃくしてくる。というのも、企業が、あまりにもお金お金に夢中になると、短期的・投機的な投資傾向が強まる。すると従前は大事にされてきた生産能力や、現場のコミュニティなどがないがしろにされ、人々の関係が薄くなるからだ。
 そうした社会のなかで、ブログは人と人が価値観を共有し、好きなことをおしゃべりしてつながる場として好適だ。
 先日晃子さんがアップした「力作」のキャットスーツ姿に対し、そのページの下の方に同じくキャットスーツ姿を投稿してくれたBUNさんがメッセージを送ってくれた。
「なんとも素晴らしいですね。以前投稿された文面も読ませていただいたのですが
文章もさることながら、ラバーのよくお似合いになること。黒光りするラバー。まとわりつくブロンド。編み上げのロングブーツ。ガスマスクの中で彷徨うゴムの臭いと呼吸音。まるで私の妄想の中から現実へ舞い降りたラバーの象徴のように感じます。うーん素晴らしい。ファンになってしまいますね。」
 晃子さんにしてもBUNさんにしても、キャットスーツを着るという個人的な行為にもかかわらず、撮影してAlt-fetish.comに投稿、発表することでそれがひとつの表現になっている点に注目したい。
 やはり人は表現をめざすべきである。表現を意識したほうがいいだろう。社会全体を少しでもフェチにとって居心地のよい場所にするためには、表現を意識することが大事だと思う。
 フェチのソーシャルキャピタルである。私もそれは体験済みだ。自分のフェチ姿に感想が寄せられると、何とも言えずよい気分となる。また、もっと撮ってアップしようという気分になる。
 ちょっとましなレストランに行くときには、誰だって汚らしい格好では行かない。それなりのオシャレを心がけるだろう。それは、そのレストランの空間を共有しているすべての他人のためである。自己満足なかっこうで行けば、空間の雰囲気は破壊され、本人だって結局居心地は悪くなってしまうだろう。
 ネット上にフェティッシュなかっこうを発表する表現行為。フェティッシュなネットという、開かれてはいるんだけどその数の少なさから閉じているとも言える、共有された空間。これをよりましな、素敵な、インスピレーションあふれるものにすることで、フェティシズムのよさみたいなのを社会に向かって発表していきたい。
 そして、それは急務でもある。というのも、先日SODのサイトでキャットスーツをジャケット写真に使ったAVを視聴したが、そのキャットスーツがあまりにもひどかった。AV現場で衣装調達を担当する人が、うちのキャットスーツを知らないのはひとえにAlt-fetish.comの力不足ゆえ。
 おまけに、曲がりなりにもせっかく着ているキャットスーツを、男優があっというまに脱ぎ去り、乱暴してしまうストーリーにはさらに萎えた。普通の人はそうやって女の人が陵辱されるのがいいんだろうが、私は正反対だ。日本のAVにおける寒すぎるフェティッシュ表現を見て萎える度に、自分で作りたいとつくづく思う。
Text by Tetsuya Ichikawa
Alt-fetish.com

AVにおけるキャットスーツ” への3件のフィードバック

  1. SODに企画書を出す事をおすすめする!そのときのアドバイスとしては、ストーリーは男性作でも、撮影・編集には女性スタッフを入れる事。仕上がりが全然ちがうんだそうだ。

  2.  chikaです。今度「男根崇拝とペニスフェチ」っていう雑文を書いてみたんですけど、参考文献を探すのに「ペニスフェチ」をキーワードにWeb検索したら市川さんのコンテンツばかりで吃驚しました。でご挨拶がてらのコメントです。ホントは「 男なんだけど、女 」のテキストにTBするのが一番いいんですが、、。
     でも今日のテキストも同感です。AVでキャットスーツをまともに撮れているのは少ないですねぇ、、小道具扱いでしょ。さすがにシネマジックではラバードールシリーズを撮っていた頃はいいものがあったんですが、、。

  3. chikaさん<ペニスフェチでそんなに……? だとしたら驚きです。TB歓迎ですのでよろしくお願いします。

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