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ヒガコのラバー店はネグリ、ハートがいう「コモン」

5月に東小金井で店、それもこれまでのやったりやらなかったりの予約制ではなくて、予約なしで毎日やっている店を始めました。大勢のお客さんにおいでいただき、私の「やる気」が完全に復活したおめでたい令和元年の夏です。
いまは、ネットでいくらでもエロい動画が見られる、それも無料で、です。しかし、それで皆さんの満足や幸福が満たされるのでしょうか? 時間は有限です。質の高い時間を過ごすことなしに、いかなる人生の充足もないわけです。自分に嘘をつき続けて、「社会のために」「家族のために」「体面のために」なにをやってもむなしさが募るばかり。そのむなしさ、やるせなさを、けん感とか、ポピュリズム(特に排外右派ポピュリズム)で噴き上がってみたりしても、1ミリも前に進むことは出来ません。それどころか文明や民主主義といった数百年のオーダーで人類が築いてきたものを破壊する、それは病気であり疾病なのです。詳しく見てみましょう。
エコノミストの水野和夫氏が近年の著作で縷々述べているように、私たち人類がこの地球で(でっかく出たw)この数千年信奉してきた、「お金」経済。いわゆる資本主義。これがもうオワコンになってるって話。
そもそも、貨幣へのフェティシズム(拝物信仰)が資本主義の根底にあるわけだけれども、うちララバーフェチにとってはどうにもずっと、居心地が悪かった。
なぜならば店をやって分かるけれども、資本主義経済のもとで家計の主要稼得者を担う厚労省モデルがいうところの「父親」ってのは、まあこの貨幣へのフェティシズムの権化でなければならない。それがあるから奥さんも子供も養えるし、ある程度の社会的承認も得られるし、まあ、なんとかやってこられているわけで。
でも、居心地が悪いってのは当たり前で、僕たちが好きなのはこの貨幣ではなくて、ゴム、もっと言えば薄いラテックスシートで自分の体ピッタリに作られたスーツを着てそれに一体となり立ち現れる、「神様」なんだ。貨幣、紙や金属で出来た「記号」ではなく、自分の身体に宿る「神」をずっと愛してきたし、それを通じてはじめて、脳内にドーパミンとかアドレナリンとか、オキシトシンとか、いろいろ幸福になったりテンションマックスになれる、つまり忘我して紙と一体化した地平で遊べる機会が手に入る。
私たちはこそこそとラバーを着てオナニーする。変態とか言って。でも、そうさせている物語=資本主義、父親モデルの男性優位の貨幣フェティシズム、そういうのにどっぷり染まった社会だったから。でも、この5月をもって、たぶん、なにかが大きく変わった。資本主義がオワコンになっているというのは、じつは経済学者たちやいろんな研究者がもう何年も前から指摘していることなんだがれいわ新選組という政党が出てきて、その中の大西つねきっていうおじさんが「バズった」。これまでにない規模で、資本主義=オワコン説が広まったのよ、れいわ新選組は250万票以上獲得したからね。その規模の「数」、もし、経済の専門書だったらあり得ない。もちろん、れいわの中でもいろんなイシューがあって(貧困とか)、大西さんは数万だった。それでも数万というのはすごい数だし、参院選後の大西さんの動画はものすごい拡散を続けている。
れいわ新選組というバズりのガソリンに火が付いて=きっかけを得て、資本主義オワコンがばーっと広がりはじめたのが今。
だから言いたいのは、もっと堂々とラバーを着て自分たちの、貨幣を対象としたフェチではなく(そんなのは終わってるんだらから)、もっと原初的な、自分の昔から引き継いできた古い脳から来るラバーフェチに夢中になっていいんじゃないのかってこと。そしてそのことを、動画とか、街でアピールしたらどうなんだろう。
韓国へのヘイトデモが行われている道一本隔てた橋の上で、ある日、韓国の民族衣装を着た若い女性が、目隠しを付けて両手を少し広げて立った。彼女の横にはハグしませんかというボード。何人もの老若男女が、その彼女とハグをした。私はその動画を見て涙がこぼれてきた。理由は分からない。というか、理由は何でもいいしどうでもいい。重要なことは、人はふれあいによって、心によいフィードバックを得ることが出来るってこと。その経験が、平和や、人と人の関係によい効果をもたらすし、その効果は、およそヘイトデモの完璧なる真逆であるということ。ヘイトでもなんてのは絶対にヤバいし、世界にいかなる善も正しさも幸福ももたらさない。いや、ヘイトで唯一金が儲かる連中がいる。政治家や、メディア、ヘイト論者たちだ。ただ、それだってたいした金にはならない。そんなメリットなんて、ヘイトでもたらされる世界への悪の総量にくらべたら、ほぼゼロといっていいだろう。つまりやっぱり、ヘイトは悪で、不幸で、世界を間違った方向へと移行させるきわめてヤバい、犯罪、不合理、不当なものなんだ。
コミュニティーとか、国民国家、そういうのも資本主義のオワコンの流れの中で微妙に終わりの様相を呈してきた。これらはまとまってひとつの目標(要は金稼ぎ)をめざすために設定された虚構だけれども、目標が意味を失ったら当然コミュニティーも国家も意味を失う。それどころか、腐臭をただよわせはじめている。腐臭の一番の例がヘイトであり、保護主義だ。たしかに、資本主義の化け物は、断末魔の中で金融・電子空間に自分たちのフロンティアを作り出した。その過程でものすごいグローバル化が進んで、国境は意味を失った。だからその反動で、人々は国民国家に小さく閉じこもり、さらにその中にいくつものコミュニティーをつくってタコツボ化している。
でも、資本主義のあとに、そういうふうに国民国家とかに閉じこもったところで、何にもよろしくない。繰り返すが、グローバリズムとその反動である国家主義、両方ダメってこと。
じゃあどうする?資本主義オワコンていうのは簡単だし、あんた上から目線で何様感プンプン、そういうふうにわたしをディスリたいのはよく分かる。
はいはいありがとう。どうぞ最後まで聞いていってほしい、ここからアイディアを出すから。どうするか。ではどうするか。その答えを私は提示できるし、今する。
答えは、ラバーを着てハグするってこと。しかしラバーを着てってのはこのメルマガの読者がラバーフェチしかいないからそう言っているだけで、これは象徴的な意味で言ってる。ラバーを着て、オキシトシンがたぶん出る。オキシトシンはいいホルモン。愛情ホルモン。平和のホルモン。一番オキシトシンが出るのは、セックスだけど、今は鼻から吸うオキシトシンも医療機関で処方してくれる国もある。セックスも医者にかかるのもちょっと、という向きにはラバーを着てみるのが言い。
ラバー着て、本でも読んで、あとは大自然でのんびり暮らせばいいと思う。もちろん、絵を描いたり、音楽を作ったり、何らかの捜索活動をした方がいい。パートナーがいれば一番いいけれども、それは私だって苦労しているんだから簡単には言えない。自分で出来ないことをこんなブログで言うのは不誠実そのもの。
金がなくなったらどうするんだって言う人に耳寄りなお知らせが。民主党政権時代に、最低所得保障という政策が出てきた。一定の所得がない人は、減税したり、あるいはお金を政府が補填したりする。ばらまきっちゃばらまきだけど、そんなのはどうでもいい。要するにお金の面倒を政府がある程度見るよってこと。そのために、マイナンバー制度が導入された。マイナンバーで、所得を捕捉して、所得保障制度の基準所得を国民ひとりひとりについて政府が把握し、基準点を下まわった人には自動的に税率を下げたり、所得を補填する。
民主党が終わって、自民党になっても、マイナンバー制度だけは残っている。今、マイナンバーについての政府の説明を見ると、「所得が少なく生活が苦しい人などにお金を給付して生活を助ける」制度のためにマイナンバーが使われるとある。この制度の名称は、最低所得保障制度ではなくて、生活保護制度なんだけれども、これは昔からある法律、生活保護法に基づいている。生活保護法の目的はこうある。「日本国憲法第25条に規定する理念に基き、国が生活に困窮するすべての国民に対し、その困窮の程度に応じ、必要な保護を行い、その最低限度の生活を保障するとともに、その自立を助長すること」(第1条)。じゃ、憲法25条になんて書いてあるか。
「第二十五条 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。」
要するに国もラバー着て私たちが自分たちの自由や権利を存分に楽しむためには、バックアップしますよって言っている。しかもいまはマイナンバーがあるから、生活保護の面倒な手続きもかなり楽になっている。
国が応援してくれている。僕たちのラバーへの愛を。ラバーフェチを。
マイナンバーカード持っていますか? あれ、写真が必要だけど、駅にある証明写真機で申請できるよ。東小金井駅にもある。
資本主義は終わった。じゃあどうすすればいい?答えはもうおわかりでしょう。ヒガコの店に来て、マイナンバーまだの人は証明写真を駅で撮る。あとは政府に金がないことが伝わるはずだから、法に基づいて国に応援してもらいながらラバーを着る。よくない?

さて冒頭に戻りますが、東小金井のこのラバーの店は、私たちのいわば「コモン」です。コモンというのは、アメリカの政治哲学者で、デューク大学教授のマイケル・ハートが言い出した考え方です。マイケルさんは、ネグりとの共著、『帝国』三部作などで知られる気鋭の思想家です。私が今ハマっています。
コモン――それは民主的に共有されて管理される社会的な富、資産、資源のことです。いちばんでっかいそれはもちろん、このマザーシップ、地球です。地球を資本主義的な蒐集、私的所有の対象にしていいのですか?いいわけはありません。それは自明です。しかし、コモンなのにそういう対象にされてしまっている地球以外の諸々が今多すぎる。水、プラスチックが混じっていない海、大気汚染がない空。電力会社。ゴミ処理場。そして、議会制民主主義。
最後に恐縮ですが、ラバーの店、ゴムを着て自分を忘我の境地に至らせしめ、究極的には本来の自分に立ち戻ることが出来る哲学的契機を創出する場所。それがコモンとしてのラバーの店です。
その考え方を、毎週一本の短い動画でYouTubeに配信していますので、ぜひともご覧下さい。この出演者は熱心なお客さんがほとんどで、利害関係なく純粋な「活動」としてこの仕事に取り組んでくれています。つまりコモンとしてのラバー空間の管理と維持発展という、仕事です。
私たち日本人が引き続き、幸せで満ち足りた人生を送るためには、努力が欠かせません。不断の努力です。
そのためには、大局観が重要です。大局観に立つためには、雑念を捨てて一番重要な価値を取り出す身近な体験を繰り返すことがひとつの入り口になり得ます。マインドフルネスや、禅、そしてトータルエンクロージャがまさにそうでしょう。違うか……。

日本変態党を立ち上げたい

たちあがれチンポ!日本変態党の党首、市川です。

ALT-FETISH.com
正しい道に励む党首。

変態党をなぜ立ち上げたいと思ったのか、それは、いまの既存の政党や、日本会議、母親連盟などそれを支持するカルト団体があまりにもあんまりだからです。

なにを信じるかはもちろん自由ですし、思いを表現して集会結社を募るのも憲法に保障されています。

しかし、こういう既存の団体を見ると、なにかが間違っていると私は思うんです。なにを間違っているのか。それは、変態性欲の満足の仕方を、です。

単に、変態なら、ラバーを着てオナニーすればいいんです。女で欲求不満なら、フランスのメディアを参考に、セルフバギナを撮ったり、クリトリスを優しくマッサージしてオーガスムを追究する夜を楽しむだけでよいはずです。それらに必要なツールはアマゾンですぐに届けられますよ。

なのに、妙なイデオロギーやあり得ないストーリーに凝り固まって、ウォーッとなっている人が多すぎる!!

まったく間違っているし、それではなにも解決しません。少なくとも、カルトスピ系団体でおいしい思いをするのは、その団体の創設者とその家族、一部幹部のお財布だけです。

もしいま、たぶんいないでしょうけど、そういうのにはまってしまっている人がいたら、いや、読者にはいないでしょうから、まわりの、はまっている友人知人がいたら、こうアドバイスしてみて下さい。

「あなたの一番大切な部分★を、今晩、ゆっくり鏡に映してみて下さい」

★指さすなどして非言語コミュニケーションでそこはお願いします。

そこに真実があると僕は思う、その団体の「先生」のいっていることではなくてね!

昨日、イギリスのケンブリッジ大学を卒業したあと、日本の早稲田大学で脳の研究をしているというシンガポール人留学生がラバーを着にやってきました。25歳ですが、3カ国語ぺらぺらでまさに天才です。しかし実のところそれほど天才でもないのです。シンガポールという国は、そういう若者の留学資金も生活費も全部政府が負担しています。

だから彼は、日本に来て勉強しています。そして、幼少期からずっと、なにかに覆われたいという欲求を持ってきたと訴え、ALT-FETISH.comのショールームを見つけて連絡してきたわけです。私はそういう彼とのこのご縁が単純にうれしいですし、そういう体験から見るシンガポールという国、そして優秀な若者の前途の明るそうな未来をまぶしい思いで見ました。

翻って日本はどうでしょうか。もちろんそういう若者も大勢いるんでしょうけれども、たいていは、非正規で使い捨ての労働に従事させられて、しかも週のうち1日2日は、いまはもう働いていない高齢者に年金や医療費という形で仕送りを強いられています。

そういう出口のなさ感と貧困が、やばい思想に惹きつけられる土壌になっているというふうに指摘する人は大勢いますが、実のところ、正しい性欲解消方法を知っていれば、シンガポールの彼のように正しいラバーデビューを飾ることができるはずです。

さて、ウェブサイトが石器時代のままのALT-FETISH.comですから私とともに読者諸兄も高齢化している昨今、そろそろショールームを本格的に再開する3月がやってきました。

電話も結構かかってきます。電話ってのももはや古い表現ですよね。でも電話でやりとりできる通販サイト、それがALT-FETISH.comなんですがね。

もうモニタを見続けると、目がつらいんです。それでしっかり説明とかサイズパラメータを確認せずにポチッとすると、結局サイズが合わない物が届いたりしてしまう。だからまた店を始めたいと思います。

とりあえず、いまはXSと、Mサイズがありますので試着を受けられます。ただ、これはお願いですが、私も生活があるので、800円だけ下さいね。世界一の金持ち通販サイトのオーナー、ジェフ・ベゾスも、私も同じ人間で、お金は必要なんです。

ちなみに、こういうことを言ってくる人がいます。店はじめると必ずこう聞いてくる人が出ます。

「なにかおもしろいものないですか」

私の答えは、おもしろい物はあなたの股に生えているそのチンポですというでしょう。まずオナニーを10日間止めて下さい。そのあとラバースーツを着て、ローションを塗ってみたらどうなるか。おもしろいと思いますよ、それが一番。

とにかく、正しく自分のチンコマンコを見ること、これからすべてが始まるし、それはそのまま終わりの始まりでもあります。それなくして、国をよくしようとか、なんだかんだ言い始めると絶対に間違えます。

マンカインド・プロジェクト。男らしさの呪縛から自由になろう

マチズモという言葉ご存じでしょうか? 男らしさ、「強さ」「たくましさ」。男性優位の価値観から出てくる、いろいろな思想信条、思い込み、偏見、そういうものの底辺に昔からある傾向です。男性優位の競争社会では、男性は黙ってたえる。戦いには勇敢に参加して、そしてそれを女性は献身的に支えるのが当たり前。家父長制。こういうのがネトウヨ、保守層を都合よく束ねて世論を操作し、自分たちに都合のよい方向に持って行きたい連中が利用します。
英語で言うとこういう表現になります。patriarchal and hierarchical ideas of masculinity。つまり家父長制と、男らしさの階層的な価値観。
しかし、実際のところ、男たちはもうそういうのに疲れ果てて、うんざりしているようです。だってそうでしょう。いくら国家のため。自分の属している企業のためになにかやったところで、結局、全世界の富の半分は、たった8人の大富豪の懐に吸い取られるだけです。いくら頑張ったところで、自分は貧しくなるばかりのこのゲームなんだから、「何とかの誇り」とか言ったところで、回復できる誇りなどもう構造的に存在しないんですよ。だから、アメリカの「ケツ舐め国家」(宮台真司)と化したこの日本で、歴史修正主義作家の書いた本を読んだ、みたいなツイートが流れてくると、(以下略)。修正すべきなのは、じつは歴史ではなくて、もっと身近な問題だと言うことが今日の話題です。

さて、ニューヨークタイムズの記事によると、自己啓発系の団体による男同士で本音をさらけ出し、お互い傾聴するという活動が盛んに行われているようです。
自己啓発系セミナーというとすぐ、カルトとか、拝金的ネズミ講を連想させますが、単に男たちが集まって本音を言い合う、互いに聴き合うだけなので、そういうやばいものとは違うようです。

たとえば、「マンカインド・プロジェクト」という33年前に誕生した非営利団体の取り組み。男たちに心の平穏をもたらすことを専門に取り組んでいます。その方法となるのは、ユングの精神分析理論や共感的コミュニケーション(NVC)、ブレスワーク(呼吸法)、アメリカ先住民の風習などなど。会の目標は、男らしさについての家父長的で特権的な観念を打ち破ること。起点となるのは、古代ギリシャの「汝自身を知れ」という箴言だそうです。マンカインド・プロジェクトでは、この言葉を、自らの感情に対する気づきを育み、そうした感情を害のある形で他人にぶつけないようにするプロセスだ、と解釈しています。それは、感情を表に出す一連の簡単な練習(中には小道具を使うものもある)を通して成し遂げられます(cf.ニューヨークタイムズ2018.12.8https://www.nytimes.com/2018/12/08/style/men-emotions-mankind-project.html)。

重要なフレーズがありましたね。自分に対する感情を、「害のある形で他人にぶつけないようにする」。原文を見てみると、こうあります。主催団体Man kind project、MKPが主語です。MKP translates this as a process of cultivating awareness around one’s emotions, so they aren’t projected onto others in harmful and destructive ways.

いま、排外主義やヘイトスピーチ、そして悲しいネットへの匿名書き込みの多くが、まさに「害のある形で他人に乱暴にぶつけられたエゴ」になってしまっています。そして、実際のところエゴに過ぎない、しかも孤独とか、むなしさ、自分の人生への退屈や諦観なのに、国家とか、「誇り」とか、無関係な大義を持ち出してきます。だから一見言っていることは正しく、伝播力も強いので、非常にやっかいです。
ですから、マンカインドプロジェクトの活動のように、天下国家を論じたり、歴史を修正したくなったり、歴史修正主義の本を読んで「ウォーッ」(モーリー・ロバートソン)と「沸騰」(宮台真司)したり、ネットに書き込みたくなったら、まずは「汝自身を知る」ことがいいでしょう。日本だけの歴史とかじゃなくて、自分の感情を深堀してみる。そういうプロセスに入っていく方が、大義名分の威を借りた、実際のところ小さくて寂しいエゴを、「他人に有害で破壊的な投射」をしないで済むことになるわけです。

ALT-FETISH.comはボンデージを通じて、少なくとも私はお客さんとの体験から、ボンデージの体験が自分自身の感情と向き合い、健全な方法でさらけ出すことができるじつは有効な機会たり得ることを知っています。
いやだって、相手が女でもない、若くもない、たんなるオッサンであったとしても、ボンデージ、ラバーがあれば、ビーンとチンコが起つわけです。この起つチンコが、チンコこそが、一番正しいし、自分の感情そのものを混じりけなく表していることを、あなたは否定できないでしょう。いま、時代に求められているのは、社会を良くするのは、立ち上がれ日本ではなくて、立ち上がれチンポです。
ですので、マンカインドプロジェクト、ひいては、ギリシャの箴言を、現代日本にボンデージの力を借りて実践しようと思っています。そうすることで、人々は誤った、間違った、正しくない(マルクス・ガブリエル、ドイツの哲学者)言論で短期的なカタルシスを得る、不毛な悪循環から救い出せると私は確信しています。そのための設備がまもなく出来上がり、みなさまの前に登場します。乞うご期待。

ネットの終わり。そして人は関係の地平へ

平成ネット史見ましたかね。私はお客さんに教えてもらって再放送見ました。

昔(1990年代)は個人が表現のツール(メディア)を手にして、いよいよみんながどんどん表現をして情報の民主化が進むって思ったわけです。

実際はどうなったか。SNSで鬱になったり、ツイッターでネトウヨ化したり。巨大企業の看板に、浮浪者がション便を引っかけるような事態になっているわけです、ネットが。

で、そうこうしているうちに、欲望の資本主義見ましたか。BS、NHKです。世界の富の半分を今は、わずか8人の人が寡占しているわけです。金が、非常に一部の人の所にどんどん吸い込まれていき、庶民は苦しくなる一方。貧乏人から金持ちに金が流れる、巨大な渦みたいな力学が資本主義なんです。

うちのお客の「中間層」は消えてしまった。というか、正確に言うと、結婚して子供産んだり、家を買ったら中間層からは脱落します。それやらなければ、かろうじて中間層にいられるんだけど、そうすると今度はすごい孤独になります。

それで、どこにも居場所がなくなった人がじっとチンポを見る。ラバーをくっつけたら、まだ勢いよく勃起する。そうだ、僕たちにはラバーがあります。ラバーが!

そういうお客さんのひとりが年末年始にやってきて、近所のドイトプロで買ったいろいろな安い金物や木材で、磔の真似事ができる装置を作りました。

チェーンとか、手かせ、足かせも金属で、これが黒いラバーや黒ペンキを塗った木の梁と美しいコントラストを醸し出してます。

今度ここで、そのお客さんと撮影してみますから、様子を見てみて、自分もやってみたいという方はメール下さい。うちのお客さんだったら歓待します(ROM専の方はこれを機会に、少しお金払ってもらいますが仲間になってみませんか?)

ラバー、レザーのボンデージマニアのお客さんと、工事していて思ったのはこれはもはや作品だと。アートだと!! アート作品であり、そして舞台です。

私たちは、そういう舞台をいま手にしました。この富の寡占化が進み、ネットもすっかり、貧者の痰壺と化したいま、私たちは、目の前の人間との関係に再び帰るときなのではないでしょうか?

金がなくても、楽しいことはあるし、孤独も、たくさん寝て、食べて、好きなことに夢中になれば癒やされますよ。

ところで、店をまた始めようと思ってます。スタジオ、フリマ、部室、いろいろやってきて、全部いまいちだったんで、普通に店に戻します。ホームセンターみたいな感じにしようと思ってるんですよ。今回は将来的には無人化も検討しています。ズリネタ買いたいだけなのに何で店員と話さなきゃならんのかーいと言う人もいるかも知れないじゃないですか。

あと、一方で、自分でラバーのなにか作りたい人増えているみたいで(世界的に)、そういう人のためのキットを売り始めます。じゃーねー

ヤフオク出していくんで、どんどん落札してくれたら、うちは手数料と送料で大損だけど、お客さんはお得だと思います。

ルサンチマンと力への意思

学生時代に卒論がニーチェだったので詳しい(嘘です、ドイツ語原点の引用箇所の訳出で死にそうになったトラウマしかなく、詳しく思い出せません!w)のですが、今「道徳」が問題になっています。道徳教育を強化して「美しい日本を作る」政府与党の思惑を左派がディスっています。道徳の重要性を振りかざす政治家も、それをディスる左派も、ニーチェから見たら、みっともない連中だと一蹴することでしょう。

そもそもニーチェに言わせると、道徳というのは、「金持ち」への怨嗟を何とか収めるために、むしろ金持ちより自分たちが優位に立つために、キリスト教が作り出したファンタジーなのです。その起源は聖書に書いてある。聖書では金持ち(および女)は徹底的にディスられている。金持ちは、天国に行けないし、詳しく思い出せないけど、女性蔑視的なことも書いてあります。金持ちは天国に行けない、自分たち(弱者で貧者)こそが、天国に行ける、その論拠こそルサンチマンであり、道徳と呼ばれる物の起源なのでした。

要するに聖書は、非モテの貧乏人(社会の支配階級に怨嗟をいだかざるをえないひとたち)が読んでスッキリするための精神的なよりどころだったわけです。その結果、人類史上類を見ない、大ベストセラーになりました。

ニーチェの「お言葉」で有名なものに、力への意思というのがあります。分かりやすくいうと、これは虎の威を借る狐、長いものに巻かれろ、同調圧力、こういったものに近いです。弱者の生存戦略として、自分が残念な境遇に置かれたり、惨めな経験をしたときに、「道徳」とか、「常識」を振りかざしてわーわーわめく態度。ドヤ顔で上から目線で説教するが、その説教の論拠は本件とは無関係な道徳や世間の常識の話。これが力への意思です。人間に備わっている、本能的な機能として、単に自分が惨めなだけなのを、それだけだと心が折れてしまうため、取り急ぎ手っ取り早く知っている大きな物語を持ち出して自分の不利な形勢を逆転したい、意思。

具体例を一個出してみましょう。先日台風で屋根の一部が飛んだので、補修をはじめました。夜6時頃に、工事を始めたら隣のばあさんが飛んできて、うるさい、何時だと思っているんだ、どんだけ非常識なんだ! と怒鳴りました。

ばあさんは、平和で穏やかな夕食を、突然工事の音でぶちこわしにされた、つまり自分の存在がないがしろにされ、不快を被ったわけです。

だったら、ばあさんは私に、日も暮れているし、夕食静かに食べたいから、工事を止めてくれと言えばよいわけです。もちろん止めます。しかし、ばあさんの力への意思が、私を非常識呼ばわりしました。常識をもちだす必要のない場面です。もはや世代間格差のために共有などおよそあり得ない「常識」を私が「もっていない」という訴え。単なる「切れたばばあの悪口」にしか聞こえず、説得力のかけらもありません。(あとで、お菓子を持って丁寧に謝りに行ったら要らないわよ、あんたみたいな非常識な人間は云々、このあいだだって(別の住民の所業を私のせいにして)したでしょ!とディスリが止む気配がないので(後日の裁判上の請求のために)録音録画して退散しました。

裁判でも、「非常識」を理由に人が断罪されたり、証拠として常識が持ち出されることはありません(それどころか、相当程度、国民は国のために受忍しろとの判例があとをたちません)。

さて、ニーチェの考え方には、「畜群本能」というのもあります。畜群は耳慣れない言葉でしょうけれども、特定のイデオロギー(デモクラシーなど)に洗脳されて思考停止状態に陥り、そのイデオロギーの奴隷と堕した人たちの様子です。

ニーチェの創出した概念、ルサンチマンにせよ、力への意思にせよ、畜群本能にせよ、私だって、誰だって、少なからずもっているわけです。問題になるのは、ニーチェによって相対化されたにもかかわらず、金科玉条のように絶対的になにかのイデオロギーを奉り、わーわー騒ぐ人です。ニーチェに言わせれば、金持ちとか、本当に力のあるいわゆる超人は、そんなことでわーわー騒いだりしないと。みっともないよ、と。

みっともないことにならないよう、お口にチャック、しないとね!

それで、じゃあ、現代に生きる虐げられた悲しい私たちはどうやったらいいんでしょうか。どう、生を支えたらいいんでしょうか?

私たちは子供のころからずっと「大人」はかくあるべきというイメージをもって育ちます。ところが、平成の長引く不況とか、格差の拡大の影響で、理不尽な理由からつらい立場に置かれたままの人生を生きざるを得ない人が増えているように感じます。

すると、自己イメージの理想と現実のギャップが広がり、焦燥感とか、満たされなさ、不幸感となって気持ちをむしばむこともあるでしょう。そのときに、ニーチェが指摘したような残念なものにすがるのではなくて、そうではなくてどうしたらいいのか。私の一つのヒントは「創作」です。

フェチな格好をして写真を撮り、SNSにアップする。詩歌をたしなむ。文章を書く(ただし排外的なものだったり、既存のイデオロギーには関係ないもの)とか。自分の心の中から出てきたことを素直に詩歌にしたためて継続的に発表していれば、きっと誰かの心に届くと思います。受け手はそれで励まされることもあるかもしれません。

感覚統合とボンデージ

感覚統合とボンデージ
過剰な拘束感がもららす安寧。感覚統合を促す効果がある?!

私は小さい頃から、ぎゅーっとされるのが好きでした。重い布団。弟との「ウルトラマンごっこ」での圧迫。そして全身をぎゅーっときつく拘束する全身スーツの着用。

いろいろネットを調べてみた結果、どうやら私は自閉症スペクトラム障害の一種で、感覚統合がうまくいっていないらしいことがわかってきました。

感覚統合というのは、一言でいうと、外部刺激を受けて、脳がどう、身体反応すべきか指令を出す、そのプロセスのことです。こういう説明はわかりにくいですよね。感覚統合がうまくいかないと、以下のような「症状」が出てきます。

・跳び箱がうまく跳べない、運動ができない
・不器用
・集中力が欠如する
・気が散る
・KY

これ全部私該当しますね。不器用という部分ですが、すぐものを落としたり、ぶつかってしまったりとか。跳び箱、飛べたことありません。水泳も25メートル泳ぎ切ったことがありません。気が散ってしまい飽きっぽくて長続きしません。

会社勤めとかも飽きてしまって転職ばっかりしていました(最後は自分で会社を作りましたが、事業目的は多岐にわたって迷走中です)。会社勤めが続かないのは、会社のせいにしてきましたが、実は自分の自閉症気味にも問題があるのではないかと今は思います。

それで、10代後半から自分の体をぎゅーっと締め付ける様々な手段を試し始め、程なくしてラバーフェチに出会ってこれだと思いました。

しかし、私がもっと早いうちから、ラバーフェチではなくて「感覚統合療法」に出会っていたらどうでしょうか? 感覚統合療法というのは、感覚統合がうまくいっていない子供に施す様々な外部刺激を通じた機能発達支援の実践療法です。わかりやすくいうと、「ブランコやハンモック、ボルスタースイングなどの遊具で楽しみながら脳みそを鍛える」訳です。

スウェーデンではチェーンブランケットという、重さが12キロもある掛け布団が、感覚統合療法の治療器具として販売されているのです。また、自閉症スペクトラム障害(アスペルガー症候群)で有名なハグマシーン(グランディンが開発)も、感覚統合の機能発達支援に役立つとされています。

実際のところ、「感覚統合療法」というのは本当にそれが脳の発達に有為に効果があるのか、私にはわかりません。また学会にも異論があるようです。しかし、感覚統合療法など知らない、ティーンエイジャーの私が、ボンデージをひたすら志向したところを思い起こすと、脳を発達させ機能回復に役立つかはわからないものの、短期的には何らかのいい作用(落ち着くとか、気持ちがいい、安心できるなど)をもたらすことは間違いありません。

それに、感覚統合機能のトラブルを抱えると出てくる症状の一つに、「過剰な痛み感覚を求める」というのがあります。これは気になりますよね。何しろボンデージとSMは不可分の関係にありますよね。SM、過剰な痛みへの志向、縄がくい込むことの快楽。これは、医学的には単に感覚統合機能がうまくいっていない人の「症状」の一つだととらえられているのかもしれません。

残念ながら科学的にはなぜ、痛み刺激を求めるのか。それによってどのような解決がもたらされるのか。そのメカニズムや因果関係はわかっていません。しかし、今日も世界中で、一人自分の体を締め上げたり、痛みを求めてSMKラブの門をたたく紳士淑女がいるわけです。

その欲求はきわめて強いと思います。1ヶ月に1回程度は何らかのラバーボンデージのプレイをしないと、何となく落ち着かなくなり、不安になります。そしてラバーを着たいという欲求が抑えきれなくなるのです。おそらく私が死ぬまでそうでしょう。

ラバーボンデージの「よさ」は脳に満足感をもたらしますが、その満足感というのは、日頃バラバラになって機能していない感覚統合がしっかり機能していると一時であれ錯覚できるのがその理由であると思います。
自分の脳が、感覚に対して適切に反応できないという状態が続くと、何らかのストレスや「不安感」「違和感」が蓄積されるはずです。OSにバグがあるパソコンが不安定になるようなものでしょう。快適に生きていくためには、そのバグを治癒しなければなりません。私が日々実践しているラバーボンデージ体験こそ、その治癒の活動そのものなのです。

私は仕事の都合で、「脳」について詳しく調べたことがあります。脳の仕組みや働きを学べば学ぶほど、自分の性癖=ラバーフェチが、脳の機能の何らかの不都合を埋め合わせているんじゃないかという思いは強くなります。自分の脳、多少自閉症気味なんですが、これがなぜ、こういう異常なのか。これは決定的な理由は不詳ですが、環境ホルモンや各種汚染物質の母胎にいるときの摂取などが疑われています。

そして、今こうした異常と共に生きている私たちは、同じ異常を抱えている人と、ラバーフェチ」という性癖、そして今回の感覚統合の問題などを演繹的に考えれば、今生きづらさを抱えている人たちは、もしかしたらラバーボンデージの体験からちょっとした安寧、癒やしを獲得できるといえます。

ラバーフェチを単なるキンキーなファッションへの耽溺とか、変態プレイだとか、そういうスティグマを貼ってはい終わりとしていたら、何の社会的教訓や実践も得られません。スティグマや偏見は、思考停止をもたらし、文明の停滞につながるのです。そうした見方をやめて、ダイバーシティーをまず受け入れ、なぜそうなのか、を考察して必要な実践を繰り返すことこそ、この世の中を少しでもよい場所にして、生きやすくすることに、ひいては文明の進展につながると確信しています。

感覚統合について詳しくはたとえば「感覚統合入門」をご覧下さい。

労働フェティッシュ

amazon

同じネット通販事業者としてAmazonの動向をいつも気にかけています。Amazonは巨大な倉庫に、大量の商品を陳列し、廉価で使い捨ての、社会保険も無しの労働者に端末を持たせてピッキングしています。在庫があるということはその商品が完全にコモディティー化している、ありふれていて、どこでも手に入る。購入者の意志決定は、価格か、スピード(納期)ということになるでしょう。
巨大倉庫内で働く人たちに遅刻のようなシステム想定外のミスは許されません。遅刻は記録され、ポイントが一定の数まで減ずればクビになります。倉庫内の労働環境は劣悪とはいわないまでも、非人間的で快適ではありません。夏は非常に暑く、会社は倉庫の外に救急車と医師を待機させています(休憩を増やしたり、水分補給をするといったことではなく、ダメになったら取り替える発想なのです)。冬は非常に寒いのはいうまでもないのですが、端末が示す、次にピックアップする商品の位置までの許容時間が秒単位で表示されるので、走らないとならず、すぐに汗だくになります。そして、極端に乾燥しているため、スチール製の棚に触れると、日常生活ではおよそ未体験の静電気が容赦なく労働者を痺れさせます。まともな神経の持ち主であればすぐに辞めてしまうのでしょうけれども、辞めても、仕事を求める労働者が列をなして待っているので会社は何とも思いません。訴訟のリスクにおびえながら、限られた少数のジャーナリストがたびたびこの巨大企業の倉庫に潜入し、文章で告発しているのは、この企業が、従業員として関わった人間の暮らしや尊厳を破壊するシステムであるという疑いようのない事実です。
この宇宙が、世界が、黒か白かの二択に収斂していくプロセスであるならば、Amazonみたいな哲学が世界を覆うことに異論の余地はありません。しかし、残念ながら世界はそのようには出来ていないのです。宇宙が、137億年前のビッグバンから始まって今もってなお、拡散・膨張を続けていることからも明らかなように、世界もまた複雑さの一途をたどっています。
ALT-FETISH.comも倉庫のようなショールームに商品があって、そこに、端末が示す商品をピックアップし、梱包発送するという仕事がメインという点ではAmazonと変わりありません。しかし、すぐに品切になる。棚は秒数を問われるほど離れていない。走れるほど広くなく、エアコンは完備されている。品切が多いので、そもそも棚に行く頻度も少ない。このようなかんじで、合理的に考えるとAmazonとは似ても似つかないグダグダなダメ小売り事業者です。
しかし、Amazonよりも優れているというか、誇れることがあります。それは、私らALT-FETISH.comは従業員を使い捨てにしません。従業員=事業創始者だからです。そして、経営者は現場で、この13年間、創業当時とおなじことを繰り返しています。発注して、検品して、受注処理をして、ピッキングして、発送する。変わったことといったら、取引先が増えたりした程度でしょう。
13年間、誰にも注目されることなく、ひたすら同じことを続けられる環境を持つこと。仕事は暮らしのためであって、暮らしを破壊するようなものであってはならないでしょう。