LGBTQの人生プラン

140430LGBTQとラバーフェチは親戚のようなもので、ショールームにやってくる男性の半分近くはゲイである。

私は、人間どこかしらそもそもおかしいに決まっているんだから、まっとうに男性らしくしていたとしても、実のところは分かったものではないと思っている。万人について、そう思う。万が一、まっとうで自他共に普通であったとしても、酒を夜に飲み過ぎていたり、人生にむなしさを覚えていたり、女性を馬鹿にしていたり、自民党に投票していたりと、どっかしら合理性を欠く側面はあるに違いない。

私はラバーを着てオナニーすることに無上の喜びと興奮を覚え、視覚ではつねに、ラバーフェチを満足させるものを探している。そういうふうなわけで、自分の中に異常性を持っていることを自覚し、それと向き合う毎日だ。自分は、LGBTQのうちQ(クイアー)当事者であるという認識を持っている。

LGBTの人たちには、悩みがあるという。たとえば子供を持ちたいと思ったとしよう。レズのカップルが子供を産んだとして、産んだ方ではないパートナーは子供と何の法的関係も持てない。もし万が一、産んだほうが子が未成年のうちに亡くなったらどうするのか。男女の配偶者の場合は自然に残った方が親なので親権があり引き続き扶養するが、レズのカップルの場合は産まなかったほうは親でも何でもない。赤の他人である。これは大問題となる。

日本の社会保障は、家族制度にだいぶ、甘えているところがある。反面、家族がいないひとにとって、社会保障サービスは限られたものになるし、情報も届きにくいようになっている。法的に家族として認められていない、同性婚カップルが老後を迎えたときに、そうした日本社会固有の問題のしわ寄せが津波のごとく押し寄せる。

LGBTの老後を考えることは、社会の中で無視されていたり、放置されている人たちの人権の救済に直結する、意義のある活動だと私は思っている。だから、私はALT-FETISHのショールームに来てくれるゲイの方たちの話を丁寧に聞くために、セラピストが読むような専門書を読んで日夜研鑽を欠かさない。

アメリカにはLGBTセンターがあって、定期的にいろいろな集会が開かれている。詩の朗読会や各種勉強会、コンサート、講演会、パレードなど。こうした活動には、政府は補助金を出すという。こうしたセンターの催しにやってきて、まずはLGBTの人たちは社会に受容されていることを知り、自己肯定感を取り戻すことができる。そして、最終的に、社会がLGBTもそれ以外も区別なく、人権のまっとうを担保できるようになったとき、このセンターの役割は成就したことになる。

この週末に、鶯谷で開かれるデパートメントHは日本のLGBTセンターのような役割を果たしうる、重要な活動だと思う。