雑誌「薔薇族」が廃刊

 私は発行人の伊藤文学さんと会ったことがある。文学風情ただよういかにも版元経営者という感じの知的なおじ(い)さんだった。この人の書いた本も読んだ(文春ネスコから出たホンで題名不詳)。
 文通の取り次ぎをしていた十年以上前がけっこう盛況だったようで、現代の出会い系にその機能を譲ったということだろう。ネットの隆盛とともに部数は低迷したという。
 雑誌そのものは分厚くて、古色蒼然としていてフェチとは相容れないものを感じた。同性愛とはいえ、フェティシズムとはどうしてもターゲットが異なること、そして、その手の性的ジャンルに属しながら、フェチはそれでも少数派であることをうっすらと感じて寂しかったのを覚えている(ゲイだからといって、フェチとは限らない。ただしフェチにはゲイが多いというのが私の印象である)。
 伊藤さんは、廃刊の理由を「インターネットや携帯サイトが普及したことや、雑誌を扱う小規模書店が相次いで閉店したことなどで部数が落ち込んだ」(日経新聞)からといっているようだけれども、問題は、どうしてネットや携帯に、紙メディアたる薔薇族が負けてしまったのか、である。
 昔雑誌作りに携わっていた者からいうと、紙メディア、出版事業は、もちろん部数がすべてだ。部数がないと広告すら取れない。分かり切ったことだが、紙メディアとして出す以上、紙メディアでなければならない理由というのが必要だ。それはひとつはグラビア印刷に代表される、美しく紙に印刷されたビジュアルの力を最大限に利用して、読者に特定のテーマを訴えることである。それを抜きにしてはたぶん紙メディアは厳しい。
 もちろん、出版不況ではネットに消費者の時間を奪われて、パイが縮小している、これは間違いないことだ。Alt-fetish.comでは、MARQUISの定期刊行物、MARQUIS(年4冊)と、ヘヴィー・ラバー・マガジン(年3冊)を正規輸入しているがこの紙メディアの売上高は月を追うごとに下降線をたどっている。
 一方それとは正比例するように伸びているのがキャットスーツやら、ラバピカのような、実際にフェティシズムを自分で身に着けてプレイで楽しむためのアイテムたちだ。
 フェティシストにとっては、雑誌やらビデオは別になくてはならないものではないけれども、こうしたコスチュームは、一度味をしめてしまうと欠かせないし、どんどん欲しくなるものだと思う。筆者が現にそうだった。最初のラバーキャットスーツはRCJに作ってもらった黒の、バックジッパーのヤツだった。これを皮切りに、あらゆるフェティッシュアイテムがどんどん増えている。
 これらのフェティッシュコスチュームは、雑誌とかビデオと違って、着れば確実におちんちんが反応する。もう当たりはずれがない。効果てきめんだ。結局フェティシストの目標というのは、自己を肉体的に悦ばせるプレイへと収れんしていく。
 そして、薔薇族の愛読者たちもまた、プレイ相手さえ見つかればそれでもう十分で、雑誌は用済みとなることは容易に想像できる。薔薇族の耽美系のイラストや写真はネットでただでいくらでも見つけられる。金を払ってまでこんな雑誌を買う理由は、今日ほとんど見いだされない。
 こうした紙メディアの構造不況にあっても、まだまだ紙メディアならではの力は残されている。ネットは自分で探しに行かないとダメだけれども、雑誌は「日夜そればっかり考えている偏執狂的」編集者が、こちらの期待を上回るネタを用意してくれる。ネットだと、探しても探してもピンとくるものに出会えないし、誰かが結局更新しないとすぐに見るべきものは一巡して枯渇する。その点雑誌のような「予算をかけられる」メディアが定期的に新しいコンテンツを創出する力が重要になってくる。MARQUISも最新号で胸躍るような美しいマスミ・マックスをピーターが撮り下ろしていたが、このクォリティの、しかも超専門的なビジュアルをネットで見ようと思ったらクレジットカードをどっか海外のサイトに登録しなければならないことだろう。
 薔薇族が廃刊になった理由のひとつは、酷な見方だがこうした紙メディアの機能を、もうご高齢の伊藤先生が果たしきれなくなったこともあるかも知れない。同性愛者が姿を消したわけではない。むしろ増えているんじゃないかと思う。果たして読者の要求に十分こたえるコンテンツを、毎月伊藤先生が発表し続けることができていたか。
 力のあるカメラマン、見応えのあるモデルを使って、ユニークな企画でビジュアルを提供できなければ、どんなジャンルの雑誌だろうがつぶれるだろう。まあそれをやるにはとんでもないカネが必要になる。雑誌は一回一回が勝負。読者を裏切らないクオリティを維持し、市場での存在感をアピールできないと、退場あるのみだ。
 MARQUISやヘヴィー・ラバー・マガジンは、英語、フランス語、ドイツ語の3カ国語バージョンが世界中に出回っていて、非常にマニアックにもかかわらず数万規模の発行部数を確保している。だから当面つぶれることはないが、ひとつ心配なのは、この雑誌もやはりMARQUISのピーターというカリスマ的なフェティシストあってのこと。彼も寄る年波に勝てない。そう、後継者選びが喫緊の課題として射程範囲に入っている時期だ。
 さてそれにしても、私らフェティシストにとっては、紙媒体、ネット、それらいずれにも負けないリアルな対象、ブーツのシーズンがはじまっている。日常生活を送っていてふと目に留まるリアルな対象、女がはくブーツ、ブーツ姿の通りすがりの女。これがいちばん心を惹かれるものである。いくら、真っ昼間で、スーツとか着て、部下も引き連れて、車なんか運転して、タバコまで吸って、まともふうに、平静を装っていたとしても、ブーツ女が現れたら最後、うちらはひとりの変態フェティシストの自分へと引き戻されるのである。そして夜、こんな格好を懲りずにしてみたくなる。
Text by Tetsuya Ichikawa
Alt-fetish.com

「雑誌「薔薇族」が廃刊」への1件のフィードバック

  1. 紙媒体の衰退はさびしいばかりだけど、きっと廃れる事はないとおもう。iPodの時代にレコードなように、手に触れる実感は、誰しも別れられるものじゃない。
    さて、こことはちょっと違うと思うんだけど、こっちで有名なトランスジェンダーの人。現代の女より女を追求する、まさに「逆輸入」によって女の文化は受け継がれる。
    http://us.geocities.com/theblitzkids/amandalepore.html

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