「メディア時評」カテゴリーアーカイブ

日の丸君が代立たない先生処分

アホの石原のせいで著しく進む東京の右傾化。
母は、公立学校のすべての式典で、君が代の時はいつも座っていた。母だけが座っていたから、そこがまるで陥没したように見える。母は先生としてではなく、父兄の席でそういう行動をしていた。別に左翼とかじゃない。何らかの組織に属しているわけでもない。ただ立つ必要がないから、ということで座っていた。
筆者は、そういう母を見て、ふーんと思い、立つ人と座る人のあいだの違いはなんだろうとか、いろいろ問題意識を持って考える機会を得た。
ところが、こういうふうに座ることが法律で許されなくなるとなると、子供の問題意識が芽生える機会もなくなってしまう。ひどい話だと思う。
右肩あがりで国が伸びてきた時代は終わって、子供が産まれないとか晩婚化で景気も頭打ちである。企業の需要も今後、今までのような成長は絶対にあり得ない。
そうした中で、小泉、石原に見られる相次ぐ右傾化の兆候。国民に、なにも考えるな、といっているとしか思えない。
ブログは、そうした国のあやしげな魂胆に異を唱える絶好の場だと思う。少なくとも考える場として機能していると思う。
筆者はちなみに創価学会、左翼、右翼、特定政党、宗教一切に属していないことを念のため付記しよう。

マルホランド・ドライブ

デイヴィッド・リンチ監督のマルホランド・ドライブを観た。一度観ただけだとよく分からないけれども、映画の持つ雰囲気や空気感はよく伝わってきて、リンチらしい映画だと思った。しかしツイン・ピークスがいちばん好きな筆者としてはちょっとものたりんかんじはした。
このページに素晴らしい解釈が載っている。もう一度観てみようと思った。やはり何度も観て味わうのがいちばんいいと思う。もっとも筆者にその時間はないのだが。
ところで私がリンチを評価しているのは、オッサン遣いがうまいからだ。渋めの、あまり有名ではない俳優やら婆さん女優、あるいはコビトの人などをどっからか見つけてきて絶妙な使い方をする。
また小物、古い電話、明滅する裸電球、ダサイインテリア、ねっとりした音楽、そういうのもいい。どこか異次元を思わせながらも、懐かしい、奇妙な感じがする。この感覚は、高橋留美子のうる星やつらに底通するものがある。不気味で懐かしいという感覚。
どうだろうか。

小泉首相の靖国参拝は違憲

小泉の靖国参拝については、不気味な、ちょっと頭のおかしなところがあると思っていただけに、今回の司法の判断は素晴らしいと思った。
何様のつもりなのかサッパリ分からない。国は宗教活動しちゃいけないって憲法に書いてある。それをどうしてダメなのか分からないって、ほとんどロリコン犯罪者に近い理屈だと思う。子供が好きだから。どうしてそれがダメなのか、分からないという。
法律を軽視して、分からないからって、自分の信念を貫く態度は完全にイッちゃってる。日の丸君が代がたどってきたいかがわしい歴史を省みることなく、学校の式典で国旗国家を法制化した石原都知事だって同じである。
ヤツラの言動の根幹にあるモティベーションが本当にキモイ。分からない。
あと、今や与党の重大なポジショニングにある公明党の、あの、例の巨大支持母体。同年代の若者でも、信者は、家に仏壇を設置して(それも金もないくせに結構高いのを、銀行ローンで買ったりしている)、毎朝お経を上げているのを見聞するにつけ、うさんくさく気味悪いことこの上ない。
結局公共土木事業同様、国民のある一定の層を占める人たちにアピールする手っ取り早いやり方なんだろうけれども、それを強化しなければならないほどに、政府の財政事情は苦しく、未来は暗いということだろう。

D・リンチ、アホだ

先日、リンチの映画を2本、DVDで買ったといったけれども、完全に失敗だった。
FPとしてこの消費行動、鑑賞行動、全部大失敗、もったいない金と時間の無駄である。筆者はブルー・ベルベットとかツイン・ピークスはとても好きだった。彼の映画に出てくる家具調度、渋みの効いた俳優のキチガイじみた演技。それが見どころだ。
しかし、このくそ忙しいときに、それに興じる場合ではなかった。
こんなまっとうな映画解釈をしている人もいるので、見てみてね。
私の感想は一言、
ねっとり

久米宏のニュースステーション終わる

この番組は朝日系で左派だから筆者とは馬が合う。しかし残念ながらあらゆる意味で軽かった。
きょう最後に、久米はまずなによりスポンサーに謝辞を述べていた。スポンサーが莫大な金を出してくれたから民放は成り立っている、その民放を愛している、なぜなら民放はこれまでに、一度も国民を戦争へとミスリードしたことはなかったから。まあそれはそれで一理ある。民放は民間企業すなわち競争にさらされた営利企業のことであり、その利潤の一部を宣伝費として番組制作に拠出している。そうしたかたちで民意を反映したメディアが、戦争へ導くようなバカなまねをしなかったことをまずはおおいに祝福したい。今後もそうであって欲しい。
彼は一貫して戦争は嫌いだったようだ。イラク戦争にも反対ですと言っていた。筆者も戦争は大っ嫌いだ。戦争なんて本当に、最悪だ。ひどい。やめてもらいたい。
戦争がどれほどひどいかは、有楽町のビッグカメラへ行けば簡単に分かる。いまブレイク中の大画面薄型テレビが何台も展示してあり、ホームシアターシステムのリアルな重低音で、戦争映画を放映している。巨大画面とリアルな音響で戦争シーンを10分も見ていれば、ウワー戦争だけはやっちゃダメだと思うはずだ。
いま戦争がイラクとかで起こっているけれども、きれい事じゃなくて、話し合いで何とか解決してもらいたい。職人肌の頑固親父とロック好きなドラ息子のあいだには間違いなくコミュニケーション障害があるだろうが、アルカイダとか、イラクの一部のテロリストの方たちと、ブッシュや国連に、コミュニケーション障害があってはまずいだろう。
人類はもう5000年くらいの歴史があるんであって、言葉だってだいぶ洗練してきたはず。筆者ですら英会話学校に行って遠い国から来た外人講師と週2回も話をしている。もちろん通信テクノロジーだってすごいところに来ている。火星にいるロボットを通信で遠隔制御できるんだから、アルカイダと話くらいできないのかと言いたい。
話を戻すが、ニュースステーションは昨今、所得格差や二世議員の増加によってますます進む為政者と官僚とその他大勢の国民の距離を埋めるのにはまるで役に立たなかった。むしろ広げたんじゃないか?
まあそういうだめな、つまり政治を変えるほどの力を国民のあいだに醸成できないのが、この番組の軽さの原因だ。
ヤツ、最後にビールを震えながら飲んでいたのがなんだか妙に寂しく映った。それもこれも、彼は国民が軽薄になり、落ち着きのない飽きっぽい性格を加速させていくうちに、気がつけばすごい思いこみの深い権力者によってさっさと戦争へと放り込まれてしまう事態を危惧していたからか?
戦争反対の久米宏はニュースショーという枠組みのなかで信義を貫いていて偉い。本当に偉い人だ。立派だ。ニュースショーは残念ながら国を変えるのにはなんの役にも立たなかった。久米は身をもってそれを暴露した。
それにくらべ、あの小泉総理と来たら……。官と来たら……。いっそ久米が国政にいって首相になってみるのがいいんじゃないの? 筆者は久米が嫌うフジ産経グループや、創価学会、戦争、自民党を、もうペラペラと皮肉に満ちた早口で攻撃する人がいなくなってしまったことに、深い悲しみと寂しさをおぼえた。久米さん、帰ってきて欲しい。

『白い巨塔』の作者のテーマ

ドラマ『白い巨塔』の原作者山崎豊子さんは、どういう人か関心をもってググッたら、国公労のウェブサイトで山崎さんをインタビューしているこのページを見つけた。
山崎豊子さんは1924年生まれでことし80歳。過去の仕事を見ると一貫して国家権力や組織と闘う個人にスポットを当てた、人間ドラマの力作が並ぶ。
『白い巨塔』も大学病院という組織自体がもつ腐敗、権力欲にまみれた人間のゆがみがテーマだったように思う。
社会派作家として正義感にあふれた彼女がもつ、もっと大きなテーマ。それは「勇気」ではないか。彼女が座右の銘にしているというゲーテの次の言葉を紹介しよう。
「金銭を失うこと。それはまた働いて蓄えればよい。
 名誉を失うこと。名誉を挽回すれば、世の人は見直してくれるであろう。
 勇気を失うこと。それはこの世に生まれてこなかった方がよかったであろう」
(国公労新聞のサイトから)