オタクとファッション

 夜の静寂が、大好きだ。昔も、今も。特に他の家族が寝静まってからオフィスにこもっているときの幸せ感といったらない。
 先日オタクについて書いた。オタクは、こだわりとかスタイルのひとつとして備えるぶんにはよいかも知れないが、ファッションセンスのないオタクは最悪だというもの。近視眼的だし、人の痛みも分からないから(人をもののように扱うことしかできないから)、子供を平気で殺したりする。人はみなオタク的な部分を持っているが、いわゆる世間の「オタク」とされる人たちのうち、ファッションがあまりにひどいのには注意したほうがいいだろう。
 まあそれはそれとして、宮本さんから感想が。
「前に、尊敬するデザイナーさんから、「宮本さんは、オタクっぽくていい!」って言われたんです。
私は、「オタク!?それって褒め言葉ですか!?」なんて言ってて、デザイナーさんは、「最高の褒め言葉だ」って言ってました。
その時は分かっていなかったのですが、最近になってその言葉の意味がよく解るようになったんです。
今、最先端で活躍しているデザイナーさんのインタビュー記事で「昔から、死体写真を観るのが好きだった」って言ってて、「犯罪者にならなくて良かったですね」って記者に言われ、「紙一重ですからね」って答えていたんです。
その人の服は、“グロさ”が上手く使われていて、その“グロさ”がまたその人の独特な美しさになっているんです。
ただのオタクと、アーティスティックなオタク、本当に紙一重だと最近思っていたんです。例えばコスプレだって、完璧に装うのなら、私だってやってみたいです。でも、現在されているコスプレなんて、チープでセンス悪くて吐き気します。(笑)
ただのオタク達のファッションも酷いですよね。あのオタクな精神を上手く利用すれば、かなり素晴らしい表現者になるのに。自身の服装は気にせず、ただアニメ世界に溺れ、ただの傍観者で留まっている限り、それはただのオタクで、そんなオタクは、溺れすぎて自身を見失ってしまい犯罪を犯す可能性を持っているでしょう。
 けれど、ただ傍観しているのではなく、自らの手で、オタクな精神で何かを表現すれば、それは独自の世界で、オタク精神こそが付加価値をつけるものになるんですよね。
オタク、フェティッシュな精神以上に素晴らしいものはないと私は思います。
ルイ ヴィトンとコラボレーションした村上 隆だって、言っちゃえば、ただのオタクでしょう。だけど、彼は自らの手で変態な妄想を人に危害を加えずに、形にした。その違いだと思います。犯罪を犯してしまうオタクな人達、アニメ世界、人形世界に溺れてしまうよりも(勿論、溺れる事は素晴らしい事だけれど、自身まで見失い溺れてしまうという意味で)もっともっと楽しみながら、人を熱くさせる物が創れたのではないでしょうか? 込み上げる様な喜びが感じ取れたのではないでしょうか?そう思ってしまいます。
 ファッションだって、ただ単に着飾るだけではなく、TPO、他人への配慮があるのです。自身を見失って溺れてはいけません。自身の精神を大切にした上で、服を着る=表現するのです。」
 このあいだの幼女誘拐殺人事件の犯人がオタクなのかどうか、それはまだ分からないので、もうオタクと件の事件を関連させた上で語るのはやめにすることにする。
 そのうえであらためて今、オタクを考えるときに、いちばん必要なのはオタクという言葉の定義かも知れない。
 オタクとはなにか。
 たとえば、医者という言葉がある。医者とはなにか。ファッションに関心がないひと。これは当てはまるかも知れない。なぜなら医者になるためにたいへんな勉強をしなければならず、仕事を始めてからも超忙しい。ファッションなどにかまってられない。
 しかし、医者のなかにもファッションに関心がある人もいるだろう。また、ファッションに関心がなくても、人の気持ちを思いやれる医者もいるかも知れない。
 オタクだって同じだと思う。
 オタクとは、ものごとに対してフェティッシュな関心を注ぐ熱意あふれる専門家、その程度の意味にしておこう。
 オタクだからといって性犯罪者とは言えないことがよく分かる。何らかの職業やらキャラの属性から社会の一定層をくくって犯罪者呼ばわりするのはすくなくとも危険だ。
 ウィーン少年合唱団の指揮者ですら性犯罪で捕まるくらいだから。
Text by Tetsuya Ichikawa
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