最近成果主義、能力主義型人事がじつはダメだった、導入したが失敗だったという報告が目立つようになった。最右翼はアマゾンで売れている『内側から見た富士通「成果主義」の崩壊』であろう。
企業は年功序列で上がってきたアホで無能なオッサンが管理職にいて、そいつらに突如能力主義でやれなんて言ったところでうまくいくはずがないのである。
マスコミとかメディアは目標管理だの成果・能力主義だのとうるさく言うけれども、いろいろと学者などが書いた本を読むと、そんなのうまくいかないし、業績だってそれで回復するケースはまれだと言うことが次第に鮮明になってきている。
そもそも会社というのは利益を出す集団なんだから、経営者がしっかりしていかないとダメ。制度どうのこうのじゃなく、経営者がうまく社員を鼓舞して一丸となってこそはじめて、規模の経済が働く。成果主義で競争させようとすると、組織崩壊を招いてしまう。こうなったら会社としておしまいだ。まとまっている意味がない。
『反社会学講座』という本を朝日の書評につられて買ってしまった。筆者は哲学科だけれど、ずっと社会学をやりたいと思っていたけれど、この本によって、社会学なんて自分以外の誰かが社会を悪くしているから何とかしないとたいへんだよみたいな、無責任な、性格の悪い連中の戯言だと気づいた。
私みたいなのにピッタリな学問だが、私はそれじゃイヤだと思った。
ニートとか、パラサイトシングルとかいったところで、それが何だというのだろう。社会学には関心が最近はすっかりなくなっている。
あと、きょうの朝日では、経済同友会が「政府の資源配分機能への信頼感が喪われている」といったなどと、役人(政府、国家)と、国民(消費者、民間セクター)の深刻な対立ことを指摘した、『メガバンクガコンビニに負ける日』(タイトルはうろ覚え)という本の書評にも非常に注目した。
国の機能として重要な、お金の再配分機能。貧しい者へ、富める者からお金を配分するという福祉的な意義を持つこの機能。しかし富める者から税金や郵貯、簡保などの形で巻き上げられたお金は、変な特殊法人やら、役人の政策の失敗の穴埋めに使われる。これじゃ貧乏人は浮かばれない。巨大化しすぎた国家を、確実に縮小していかなければならない。これは今日の日本が抱えるもっとも大きく、そして目立たない、それゆえに喫緊の課題である。
Text by Tetsuya Ichikawa
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