国民は参政権があるし、話題の憲法九条を変える議論でも、国民ひとりひとりが投票する国民投票という機会が与えられている。だから私は九条は変えないほうがいいに決まっているから絶対に改憲に反対なのだが、いまメーンとなっている政治家、政府与党はこれを変えるべく行動している模様だ。それに対して、どうなのだろうか? 国民ひとりひとりが危機感を持ってヤバイ、変えるべきではないものを変えようとしている、と真剣に見ているんだろうか?
そうは思えない。「参政権」など中学の公民で習って以来、サッパリだっていう人も多かろう。
私もそうだった。
しかし、この改憲だけはとうてい傍観できるものではない。許せない。錆び付いた私の「政治に参加する権利」をよっこらせと動かさないわけにはいかない。TBSのニュース23で憲法のことを特集していたのだが、戦力の保持を放棄すると憲法でうたっている国はコスタリカと日本だけだという。日本て超マニアック、ユニーク、そしていいと思った。そんな日本がこうして繁栄できているというのもまた、人類の文明が成熟している証拠で、居心地がいいのである。
もっとも資本主義だからいろんな利害関係(たとえば大手商社に勤めている給与所得者でローンがたくさん残っている人とか)のなかで平和平和などというのを絵空事のように聞いている人もいるかもわからない。それはそれ。その人の自由であるから仕方ない。あくまでこのブログは、すくなくともこの私はどうなのだという話なのである。
九条の会。なにか統一的なスローガンのもとに、絶対に集まるようなマネはしないものすごいキャラクターが集まっている。それだけに、今って、じつはたいへんな事態だと思う。九条の会で心配なのはジジババばかりだということ。死んだらどうなるんだろう? ぜひ、若い人たちのなかからも、こうしたのを作ってみないといけない。
Text by Tetsuya Ichikawa
Alt-fetish.com
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