変態をよろこぶ人、嫌う人

 筆者はこんな変態ではあるものの、公立で小中、高校まで終え、大学も卒業し、普通のメーカーに就職し、またマスコミなどにも勤めるなどの人生経験がある。
 そうした、ライフサイクルごとのコミュニティーでは、そこそこ仲良くなったりする人、というのもでてくる(当然だ)。また、飲み会などでは、けっこう自分についてあれこれ話す機会も得られる。
 そういう場合、筆者は二十歳を過ぎてからというもの、率先して「変態デース」とカミングアウトするよう、コレ努めてきた。
 なぜなら、もしそうしなければ、同じ変態と出会うことは出来ないからだ。これは、去年自殺してしまった変態の女性、二階堂奥歯氏も同じようなことを言っていて、そうして筆者と彼女は出会った。
 変態だと表明することで、私に並々ならぬ関心を示してくれる人たちがいる。それをきっかけに、筆者を慈しんでくれる人がいる。そういう人たちは、筆者にとっては欠かせない大切な友人になるわけである。
 もちろん、その反対に、変態を自称する筆者を怖がり、二度と筆者に関心を向けようとしなくなる人も多い。こういう人たちがいると、筆者はとても悲しくなってしまっていた。しかし最近では、人は所詮、みな人である以上変態だという尊大な思い込みが悲しみを凌駕しているから、悲しくない。むしろ、了見と博識のないヤツだと、こちらから付き合いをお断りするくらいだ。
 私は、変態というテーマはじつに刺激的で、決して陳腐化することのない、いつも面白い話題であると思っている。このブログは、フェティシズムが主題だけれども、いかんせん世間の側から見てそれは「変態」そのものだ。パーブスだ。
 明るくて楽しい、ストレスの解消にもなる素晴らしい変態道をこれからもきわめていきたい。
 というのも、じつは同じ変態でも、二階堂さんのように、心の中に、自殺してしまうほどに深刻な闇を持っていて、変態がその表出であることもある。また、世間を喜ばせ……もとい、恐怖へと陥れる猟奇犯罪者の多くは、特に欧米では変態である(日本国内の場合、猟奇犯罪者の事例で目立つのは変態というよりもロリコンである。ロリコンは変態にはいるけれども欧米のそれとはだいぶ異なっている気がする)。
 こうした、変態の負の部分について、Alt-fetish.comは認識はしているけれども肯定しがたい嫌悪感を持っている。だいたい、変態のよさを楽しむには生きていなければならないし、そのためには最近流行の概念「サステナビリティー(持続可能性)」の観点が重要だ。自殺したり犯罪に手を染めればそれで人生おしまいである。
 だから、変態は明るく楽しくが基本。そういうふうに考えて、長く続けていきたいと思う。そうすれば次第に、変態を嫌う人というのも減っていくのではないだろうか。だいたいそれにはこれから1千年以上は必要だろうが。
 ところで今日、j-waveのグルーブラインという番組で、パーソナリティーのピストン西沢がアニメ日本一を決めようということで、いろいろなアニメネタをリスナーから募っていたが、結局日本一は、タイムボカンのドロンジョ様となった。
 彼はドロンジョの仮面とブーツがいいらしい。この番組のもうひとりのパーソナリティー、秀島史香が「そんな日本一って……」と苦笑していた。秀島史香でさえ、ドロンジョ様といえばボンデージというほどにそれは有名である。筆者も小さい頃に食い入るようにあの番組を見ていた。それで知らず知らずのうちに、こんな姿でなければ興奮しないようになってしまった。
Text by Tetsuya Ichikawa
Alt-fetish.com