合理的無知とラバー撮影会

フェチと全然関係ない話題にはなるが、私は社会的権利養護の活動のうち、おもに障害者支援の仕事に携わって「も」いる、賃労働者です。

支援は、国費からサービス給付がされますが、一部自己負担部分もありますので、支援する障がい者の方を、支援従事者は、「ご利用者様」といいます。つまりお客様です。

ただ、大部分が、限られた国家予算の中から、予算組みがなされ、執行される事業になるので、ご利用者様のニーズのすべてに細かく応対出来るわけではありません。

そこで、支援内容を事前に計画し、日時はもとより、サービス支援内容も細かく決められます。その計画通りに、支援をしていくことになります。

ところが、支援の現場に行くと、特に当事者の親御さんなどからは、あれも出来ないか、これも出来ないのか?と要望が寄せられることは珍しくありません。その場合は、丁寧に、支援制度の詳細をご説明し、給付サービスとして、どのようなサービスをどの事業者が提供出来るのか、理解していただくまで粘り強くお話しすることになります。当事者はもとより、親御さんも、私たち専門職が説明するまで、制度の内容を知らないことがほとんどです。社会福祉について、くわしい人は、当事者界隈でも非常に少ないのです。

なぜでしょうか?

社会福祉に長年携わってきた香取照幸さんという方が書いた『教養としての社会保障』に書いてあった内容ですが、彼は厚生労働省の官僚として、長年、社会福祉についての国民の理解がなぜ進まないのか、考えてきました。そしてひとつ分かったことがあって、それが、「合理的無知」というものだそうです。

ここで、「合理的」という言葉についてあらためて確認したいのですが、いったん、「不合理」とはなにかを、想像してみて下さい。日々、生活していて、皆さんは、これはあり得ない、無理ゲーだ、コスパ悪い、って思ったことあると思います。こういうことを思うときは、大抵、なにかの目的がまずあって、その目的を完遂するために実際に取り組もうとした場合に、想定外の時間や手間がかかってしまった、ということが多いのではないですか? 要するにそのときに感じた印象こそが、「非合理」というわけです。では、非合理ではなく、合理的とは何か。簡単ですよね。スムーズに、何の苦労も妨げもなく、最短のコストで目的に達することが出来たとき、その手段が合理的だったと言えます。不合理ではなかったということです。

で、「合理的無知」なんですが、あえて、無知のままにしておく、意思決定のことです。そもそもなにかを知るというのは、やはりコストがかかります。時間もかかるし、情報源にお金を払わないといけないこともあるでしょう。私たちは、一方で、毎日毎日朝起きて夜寝るまで、やることがたくさんあることでしょう。やりたいこともあります。そうした中で、世の中にあふれる情報のすべてを知ることは不可能だし、それこそ不合理です。そこで、必要な情報だけを知っておけば、あとは知らないままに「しておく」という生活態度。それが合理的無知なのです。

ここでラバーフェチのブログなので、社会福祉をはなれ、無知の対象をラバーフェチにしてみましょうか。

(社会福祉の障害者支援給付サービスの細かな分類はもとより、社会福祉制度についても知らない人がほとんどなのと同様に)ラバーフェチはもとより、そもそもフェチについても、何も知らない人が実際ほとんどです。25年近くやってきて、ラバーフェチの人のご利用者様リストはまだ、5千もいません。

私たちラバーフェチはラバーフェチを見ただけでガンぎまりになってしまう、そしてものすごく見たい、ラバーフェチを楽しみたいという目的があるので、そのために情報をあつめるのはきわめて合理的です。

しかし、それは私たちが、たまたま、ラバーフェチならではの目的を持っているからです。この目的を共有しない他のフェチの人、フェチですらない人が、ラバーフェチのことをまったく知らないのは当たり前ですし、もはや自明と言えるかも知れません。

ラバーフェチ界隈としては、そうはいっても、もしかして、興味を持っているんだけど、どうやって情報をとったらいいか分からない人もいるかもしれないし。もっともっと、ラバーフェチの人を増やしたいですよね。

合理的無知という人間の本性をかいくぐって、どうやって、ラバーフェチのほうに注意を振り向けてもらうことが出来ると思いますか? ひとつには、アートだと思います。写真とか。あとは、実際にラバーを着て街を徘徊するのもいいかもしれません。

オルタフェティッシュでは、ラバー撮影会というイベントを4月から開催しています。この撮影会イベントは、まだ、当面はイベントというほど集客も出来ていないし、内容もブレがあります。しかし、試着や物販の当店がなぜ撮影会をやるのかといったら、写真作品というIPを蓄積し、それをアートや出版といった既存のプラットフォームに載せて、人々の合理的無知を打ち破る刺激に出来ないかと考えているからです。

養老孟司さんは、むかし、『バカの壁』という本を書きました。内容は要するに、何を言ってもバカには通じないというようなことだったかと思います。バカでなくても、人々は、目前のさまざまな生活上のタスクや仕事、もともと好きな趣味道楽に合理的に取り組むため、外部からの情報を遮断しています。壁、にしても、無知、にしても、一定の強度の情報刺激あれば、ぶち破ることが出来ると思います。そうすれば、もしかしたら、ラバーフェチの界隈に関心を持つきっかけになり、行動変容をもたらすことも出来るかも知れません。逆に言うと、それ以外に、ラバーフェチを増やすことは出来ないと考えた方がいいかもしれません。

ラバーフェチの人が増えてくれたらいいなと思っている人はとても多いです。もし、あなたもそう思うなら、ラバー撮影会に参加してみませんか? 被写体としても、撮影者としても、ラバーフェチを増やす目的で活用出来る資源をふやすことの貢献に繋がります。 皆さんの力をおかしください。