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フェティシズムについて

 現代の禁欲主義というテーマで、フェティシズム、とりわけ緊縛感を伴うボンデージライクなフェティッシュ・プレイについて話したいと思う。
 これまで、フェティッシュプレイというと、性的欲求不満→オナニーによる欲求充足解消という、動機理論によって私たちはその本質を求めようとしてきた。しかしここに来て、どうもそれは違うのではないかという気がしてきたのである。
 この気づきを、筆者は『<生きる意味>を求めて』(V.E.フランクル著 春秋社)の「スポーツ──現代の禁欲主義」という論考によって得た。そこでこの論考を読者とともに追体験しながら、フェティシズムを楽しむ方法を体得してもらいたい。Alt-fetish.comの考え方を読んでいただき、ひとりでも多くのお客様が、Alt-fetish.comに共感し、これからも末永くお付き合いできることを願ってやまない。
 さて、『<生きる意味>を求めて』の著者フランクルとは、1905年にウィーンに生まれ、ナチスを生き抜いてウィーンやアメリカの大学の教授職を歴任し、97年に没した精神科医である。
 彼によると、スポーツ(フェティッシュプレイ、とそのまま置き換えて読んで差し支えない)をどうして人間が求めるのかというと、それは人間はそもそも緊張状態を必要としているからだ、という。
 このような結論に至るためには、これまでのようなスポーツ分析である、「動機理論」では本質をとらえることができないと主張する。動機理論とは、運動をしたいという動機が高まって、次第に我慢できなくなり、スポーツをする。そして、スポーツをすることによって満足する。満足=緊張緩和にただ進んでいくのが人間なんだというのが動機理論だ。フランクルは、この動機理論自体、人間分析のツールとしては使えないと断じる。
 フランクルは、人間は緊張緩和という「内的均衡」ではなく、常に何かあるいは誰かといった外の世界に、おもな関心を持つ存在だと考えている。
 その関心は、果たすべき義務でもいいし、愛する相手でもいい。こうした人間が持つ、自分以外の何かをめざしたり、関わろうとする本質的特徴を「人間存在の自己超越性」と名付ける。
 スポーツを通じて、人間を志向するあたり、まさに哲学者である。
 さて、自己実現というのも、この自己超越性の副産物としてのみ、可能なのだというのだが、フェティシズム(フランクルのいうスポーツ、以下同)を考察するに当たってフランクルが提出した重要なテーマを引用しよう。
1.人間は緊張緩和に主な関心を持っているのではない。人間は緊張を要求しさえする。
2.したがって、人間は緊張を探し求める。
3.しかし今日、人間は十分な緊張を見つけられずにいる。
4.それゆえに、人間は時に緊張を作り出す。
 1については、ほどよいさじ加減のストレスは人生の隠し味だと、ストレス学説の父であるハンス・セリエがいったことを引いて、フランクルは、人間と、充足すべき意味とのあいだに築き上げられる類の緊張を欲していると主張する。それゆえに、2でいう緊張そのものではなく、人間存在に意味を与えてくれるような「意味」を求めている。
 意味がまずあって、それに向かう緊張が人間の健康に必要だというわけだ。
 たとえば希望する仕事に就いた若いサラリーマンが、昼夜を惜しんで仕事に没頭するときに、彼は退屈を覚えたり、人生の意味を問うことがあるだろうか。もちろんない。やり甲斐のある仕事が彼の人生の意味そのものであり、それを行うプロセス自体は適度なストレスに満ちている。
 ところが、3でいうとおり、リストラや仕事の意味が見失われがちな現代社会にあっては、この幸運な若いサラリーマンはむしろ少ない。ほとんどの現代人が、もはや自分を緊張させてくれるような使命や意味が見いだせなくなってしまっている。
 人間はもはや性的欲求不満ではなく、実存的欲求不満なのである。人間の主な不満を、フランクルは不条理感、無意味感、虚無感にフォーカスし、それを「実存的空虚」と名付けた。そしてその主たる症状は「退屈」なのだという。
 19世紀にショーペンハウエルが「人類は足りなくて飢えることと、満たされて退屈することという、二つの極のあいだを永遠に揺れ動くよう運命づけられている」と言ったが、今日の私たちは退屈の極に到達した。
 フランクルは「3.十分な緊張を見つけられずにいる」人類が、いよいよもって緊張を自ら創りはじめたと指摘する。ヘルダーリンは「危険の生じるところに救いあり」といっている。
 ではどんな緊張か?
 「豊かな社会によって味わわなくてもすむようになった緊張を、人間は今や人工的に創っている。自分自身に故意に要求を課し、一時的にでもストレス状態にわざとさらすことによって、人間は自分自身に緊張を与えようとしているのである。私の見るところでは、これはまさにスポーツによって果たされる機能である。スポーツによって、人間は自らの中に非常事態を造り上げる。」
 フランクルがスポーツに見いだしたこの機能、私たちフェティシストにとっては言うまでもなく、ボンデージの要素をはらむフェティッシュプレイが持つ機能にほかならない。
 私たちはフェティッシュプレイにおいて、人為的な緊張状態を作り出して楽しんでいるのである。この営みのおかげで、「無意味感」「退屈さ」から解放され、当面生きる意味が見いだせなくても、その意味を求めるときに生じる緊張感だけを味わうことで再び日常へと戻れるのだ。
 フランクルはスポーツを、「豊かさの大海の真ん中に、禁欲主義の島が現れた」と称した。
 禁欲主義──そういえばフェティシズムはなんと禁欲的なことだろう。フェティシズムの営みは、必要のない業績、必要のない義務に満ちている。人間は、エレベーター、エスカレーター、ヘリコプターなど、自分の足でのぼる「必要のない」時代に生きているにもかかわらず、あえて自分の足で山に登る、岩にかじりついてみるといった、「必要のない業績」に夢中だ。そのためにシューズやザイル、装備などの産業すら成り立つ。
 フェチが禁欲的であるというのは今更いうまでもない。裸で性器をいじれば出てくるその不必要な精液を、わざわざもっとも遠い、関連性の低い、必要のない「服」から、あるいはともすれば身体から離れさえして、観念における「設定」から入っていくのだから。
 スポーツとは人間の可能性の限界に挑戦し続ける営みである。そしてそれは自分との闘いだ。可能性に挑戦するという「意味」が、いつまでもある限り、スポーツが人類を、しかも空虚で退屈な豊かな現代を生きる私たちを魅了し続けることだろう。
 フェティシズムもまた、人間の可能性に挑戦する自分との闘いという「意味」を持っている。たとえば普通にキャットスーツを着てみる。想像をはるかに超えた拘束感に、手記を寄せる体験者の多くがそのまま着続けて夜を明かしたり、日常の所作を行ってみたりする。
 フェティシズムの体験は、体が震えるほどの意味を与えてくれる。その緊張感は日頃の退屈を吹き飛ばすにあまりあるエンタテイメントだ。
 フェティッシュプレイの実践者は、一回のプレイを経るごとに新しい可能性を発見して、それに挑戦する使命を得ることが出来る。キャットスーツを手にして、何度か着ると、今度はもっともっと体を拘束してみたくなる。体に、緊張感を与えてみたくなる。行き着く先のひとつが、バキュームベッドとか、インフラタブルスーツといった、真空状態あるいは空気の圧力で全身を密閉するプレイだ。
 体中が文字通りのストレスだらけとなる。しかしそれがどうしてこんなにワクワクする、心躍る体験になるのか。もう読者はおわかりのことと思う。
 フランクルはスポーツに自己超越性があるから、つまり自分以外の目標になりうべきものや誰かをめざそうとする力が働くから、その過程に生きる意味が生じ、その実現のために緊張する、その緊張を求めて人はスポーツをするといった。
 フェティッシュ・プレイにおける自分以外のもの、対象は何か。それはもう言うまでもないのだが、フェティッシュ(フェティシズムの対象となる物)である。ブーツフェチにとってのブーツ、ラバーフェチにとってのラバーのあの黒光り。それらの執着できる外的対象を、早くから見つけられて、いつも緊張しているのが、スポーツパーソンであり、私たちフェティシストなのだと言える。
 フェティッシュプレイへの欲求が健康な精神の営みのひとつなのだということを、フランクル──20世紀を生き抜いたひとりのユダヤ人精神科医が私たちに教えてくれている。
 自分の中の欲求に拘泥し、自分に閉じこもるのではなく、自分の外に対象を求める。自己超越性の快楽を手っ取り早く得たいのならば、キャットスーツを着てみることだ。キャットスーツの拘束感と黒光りするその対象物としては十分すぎるほどの魅力。
 キャットスーツ体験とは、人間が生きる意味そのものを教えてくれる貴重な機会にほかならない。
市川哲也(フェティッシュ・ヴォイスライター)
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