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ものすごさのカタルシス───ラバー女装者・板野さくらさんインタビュー
取材・文 市川哲也
全文のPDF

 私たちの心のはたらきにはまだまだ未解明な部分が多くあります。毎日、仕事や、種々の義務の履行をこなしていくうえで溜まる疲れや鬱憤を晴らすのにはいろいろな方法があると思います。もちろん、いわゆるストレス解消法には向き不向きもあるし、眉唾なものもたくさんあります。しかし私たちラバーフェティシストは、ラバーから間違いなくカタルシスを得ています。
 さて、カタルシスという言葉。ご存じですか。辞書によるとアリストテレスの「詩学」に登場した言葉で、一言でいわばストレス解消。あるいは鬱憤晴らし。古代では、「悲劇の与える恐れやあわれみの情緒を観客が味わうことによって、日ごろ心に鬱積(うっせき)していたそれらの感情を放出させ、心を軽快にすること。浄化」あるいはまた、「精神分析で、抑圧されて無意識の底にとどまっているコンプレックスを外部に導き出し、その原因を明らかにすることによって、症状を消失させようとする精神療法の技術」(参考国語大辞典(新装版)(C)小学館 1998)だそうです。
 今日お話を伺うのは、都内にお住まいの、ラバーを着用し、なおかつ女装もするという、板野さくらさんです。カタルシスの効果を最大化するには、極端な現象を引き起こして感情を揺さぶる必要があります。白い肌に真っ黒いラバーを重ねる。男性なのに対極の女性に変身してみる。とてもそれは劇的で、「ものすごさ」があります。それだけに、ラバー女装はカタルシスのひとつの有効な手段であるといえそうです。
 日々忙しく働く私たち現代人は、カタルシスのための「ものすごさ」を手に入れるためにラバーを着て、女装をする。それは、とてもシンプルで無理のない選択肢のひとつです。
 板野さんとのやりとりは2007年の2月から3月にかけて、メールにより行われました。以下はそのすべてです。じつは、とてもよくできた実践的ラバープレイのガイダンスになっています。

●私(市川哲也)は、ラバーを着ている自分が「淫乱な女」であるというのが非常に興奮する要素になります。ラバーを着る前に女装して、見た目もウィッグをかぶったりメークをしたり、女性らしいプロポーションのスーツを着たりします。こうした性癖が私にあると気がついたのは、ラバーを着始めてしばらくたってからでした。ラバーを着る頻度自体たいへん少ないのですが、着始めて2〜3年経ってからでしょうか? 鏡に映る自分が「超ド変態ラバー女」だという状況がかつてない興奮をもたらしました。板野さんはどういう変遷で、普通の男の子がラバー女装者へと至るまでになったのでしょうか?
───(市川さんは)まずラバーありきで、その後に女性的なヴィジュアルを導入、ということですね? ラバーでブラックアウトした全身に対して、メイクアップの象徴、つまりは女性の象徴であるリップとアイメイクで、女性の象徴を強く意識されたのでしょうか……。だとしたら、今ある姿は同じだとしても、経過も起点もかなり異なるのかもしれません。私の場合はもともと、双方独立した感情として、幼少期に芽生えました。ラバーに関しては、もはや30年前のことになりますが、小学生の頃には具体的なラバーのヴィジョンがあって丈夫さ(脱げ無さ)とタイトなフィット感と被虐性を兼ね備えた製品を欲しました。一方、女装に関しては、もともとあったもやもやしたキモチが第2次性徴時期に明確化しました。
「どうして私は、向こう側じゃないのか?」そんな感情です。ただこれはそれほど深刻な物ではなく、女の子のカタチになってゆく女の子に憧れる、というような気持ちでした。
 その後、ラバーの方は時代性もあって、文化も情報も製品も人間関係も手に入らないので長く具体化の機会を逸し、女装は社会性を身にまとうがゆえに自らを滅しました。
 やがて、肉体は老化し始めます。当時の私は、「今の体で出来る、やり残していること」を探しました。あらゆることをやり尽くしていましたが、未だ奥の方にくすぶっていた物……それが女装でした。結果として目標としていたレベルの女装を実現して数年、さらに老いが襲うこの肉体に、手元に残っている貯金でもう一度「今の体でしかできないこと」を問いかければ、いつしかラバーに関する購入などの環境がネット上に急激に発達しており、子供の頃に欲しかった物に近いモノがインターネットで買える時代になっていました。
 そこで2ヶ月ぐらいネットを彷徨って、欲しくて「買える」物をオーダーし、30年の時を経て私はついに自分のラバーウエアを手に入れます。
 もともと女装が「幸福感の実現」と「自己同一性」であるのに対しラバーの場合は「全身の性器化」とでもいえるのでしょうか。つまり、心の別な部分を使います。ただ、ラバーを身につけるにあたっても、ヴィジュアルのベースにあるのは「異物化」ではなく、「自己愛」であることには変わりありません。「セクシュアリティ」、「同一性」という側面で女性的なヴィジュアルを持つ存在でありたいと思う人間ですので、結果としてラバー時もラバーウエアも女性物になってしまうという感じです。こうして、市川様のいわれる「ラバー女装」というジャンルが、私の上にも完成したわけです。
 
●ラバーフェチは小さい頃に後天的に発症し、一方で女装は、板野さんの「求道」の結果見つけたという感じですね。性的探求の対象は板野さんにとってはナニがありますか?
───女装、そしてレザーとラバーに代表されると思います(目的を快楽に絞れば、女装は外れます)。素材感を伴った性癖、または服そのものが目的、ということで括れば、レザーとラバーですね。革っぽい質感とか、丈夫さに惹かれるんだと思います。自分でも意外なのですが、やってみて判ったのですが、コスプレには興味がありません。
コスプレには「ものすごさ」が無いんですよ……。子供の頃は女性物の補整下着に強烈にも惹かれましたが、ラバーやレザーの「手に入りにくさ」が、さらに当時の私という子供の心に、その憧れる気持ちを焼き付けたのだと思います。
●「ものすごさ」ですか。ビジュアル面での過剰さということでしょうか。たしかにコスプレはどうにも「陳腐」で、私もダメです。ラバーという黒い、強烈な外観を身につけることではじめて実現されるなにかが間違いなくありますよね。ところでそのラバーですが、非常に直接的な質問で恐縮なんですが、頻度でどんな気分のときにやりますか。
───思いっきり部屋まで借りて没頭できるのは、半年に一回ぐらいだと思います。ラバーという趣味は、とにかく時間がかかるし、場所が限定されますよね。だからよっぽどじゃないとやらないし、できないです。普通の性の処理で解消できない物が、心の中に澱のように少しずつ溜まってゆく……。それが生活していて「重たい」と感じるようになったときに、意識的に「解放」します。 こういうやり方の方が、機会は少なくても没頭できる気がします。

●まさにカタルシスですね。具体的なラバープレイの「手順」のようなものはありますか? ラバー女装(女装ではなく)のときの一連の流れ(着始めてから脱ぐまで)を教えてください。
───私はもっぱらホテルでやります。ひとりでも、です。内容は、次のようなものです。
@汗だくになるし、マスクなどに付着するのでファンデーションを使ってメイクすることはありません。極端に言えば女性の象徴は、「目」と「髪」、ですので、アイメイクだけを施し、髪をアップにまとめます。ラバーを着ること自体が目的ですからね。
A全身にシリコンオイルを塗ると、大量のローションをヘヴィバットプラグパンツの内側に塗りつけ、自分の躰に組み込みます。クローチ部のファスナーを開けてヘヴィバットプラグパンツに溶着されているペニスシースを外部に出しつつ女性用のキャットスーツを装着。このとき、股周りと肩周りのフィット感と位置決めに注意を払います。背中のファスナーは紐を引っかけて上げてゆきますが、上手くいかないと破損しますよね。
B躰の動きが不自由になる前に、ブーツを履きます。ニーハイなので生地を横方向に延ばしつつファスナーを上げてゆくのに一苦労です。
Cあらかじめバックの編み上げを詰めておき、コルセットを装着します。バック編み上げだけの物だと自分でつけることが出来ないため、フロントファスナーでバックル付きの物を新たに手に入れました。
Dネックコルセットかマスクを着けます。今までは付属の紐を使って編み上げてましたが、ケブラーか革の紐を完全にゆるんだ状態で全部のホールに通しておき、頭から被って締め上げてはどうかと考えています。
E最後にグローブです。指の股にぴったりとフィットするように注意を払います。……これで装着は終了です。
 プレイメイトがいればこの上で発展性がありますが、一人没頭して、このまま3時間ほど装着感を楽しみます。30分も身につけていると、躰を動かすたびに汗で全ての面で生地が躰の上を滑り、それだけでも大変な刺激ですが、同時に最早全て脱いでしまわないと外せないところにあるヘヴィバットプラグパンツがまるで生き物のように動いてその存在感を増し続けて、思わず声を上げてしまいそうになるほど陶酔しますので、3時間という時間は短いと感じます。そういう意味では、ラバーを着るなら発汗が不足する冬よりも夏の方がいいと思います。

●なるほど。ここまで手のかかることを金と時間をかけてやる。もはや単なるオナニーというくくりではとらえられませんよね。実際3時間もの時間、ラバーに包まれるというのは、何らかの精神的作用の裏付けあってこそです。ギリシア神話のカタルシスは、悲劇を鑑賞した観客ひとりひとりの心に起こる心の作用でしたが、ひとりで演じてひとりで鑑賞するラバー着用という営みもそれに通ずるものがありますね。
───ラバーは第2の皮膚という表現を良く目にしますが、私の場合はゴムに躰ごと心が侵食されてゆくような気持ちになります。ラバーが主人で私が奴隷、というような、服に身も心も支配される主従関係のような物を感じます。
……あとは着るときと反対に脱いでいきます。脱ぐときは、特に面白くも何ともないですよね。ものすごい疲労感とともにキャットの足を抜くときやグローブを脱ぐ時に、汗が「どぱっ」と溢れて床に落ちます。最後に、ゴボッという音とかなりの苦痛と共に、躰の奥からヘヴィバットプラグパンツを引き抜きます。お腹の奥に吸着して内蔵の一部になりすましている巨大な寄生虫を引きちぎるようなイメージです。
このとき、ラバーの、私に対する「支配」が終わります。

●たしかに、着たあとの虚脱感には閉口しますが、大量の発汗のおかげで身体が軽くなる気分があります。ところで、女装という側面にもすこし触れたいのですが、さくらさんは自己の性に対してもともと違和感があったのですか? そのことと、ラバーを着たいということには関連がありますか。
───第2次性徴時に、違和感が芽生えましたね。男性的なカタチに成長してゆくことをなかなか受け入れられなかったです。ただ、「ざわついた時期」を通り過ぎれば、ごまかしがきくレベルの物で、それほど深刻なタイプではありませんでした。若いからか、なかなかその違和感などを具体的に自分で把握できなかったので、もやもやとした物を抱えつつ成長してゆくわけです。かといって後々は男性としての勝利感も得られる機会が多くなり、それゆえコンプレックスはありませんでしたので、それほど受け容れがたい物でもなかったのだと思います。性に関する違和感は、このような短い文で総括することが可能で、それ故、ラバーを着たいキモチとはまた別な部分なのだと認識しています。

●なるほど、最初におっしゃっていたように、ラバーフェチだったがたまたま女装もするようになって、それぞれは独立しているというわけですね。そうすると、ラバーを着て女装するのも自然な流れですよね。板野さんがラバー好きで本当によかった、だってただの女装者なら私は話など伺いません。猛烈なラバーフェティシストの板野さんのおおもとの体験はなんだとお考えですか? さきほど「小学生の頃には具体的なラバーのヴィジョンがあって丈夫さ(脱げ無さ)とタイトなフィット感と被虐性を兼ね備えた製品を欲しました」とありますが、こうしたものを知るに及んだのはなんの影響でしょうか?
───物としてはウルトラマンなどのスーツがこの世に現存するのだから、ラバー製のスーツは、コストと引き替えにいつかは手にはいるのだろうというキモチはありました。ただ、あのようなヒーロー物のかぶり物を欲したことはありませんでした。今思い起こせば、私のあこがれの対象は、フェチシズムにおいても常に女性でしたね。
 とにかく欲しかった物は、
@幼稚園の時に見たピンポンパンという番組でお姉さんが着てた黄色くて分厚い生地で出来たフロントファスナーのハイネックでローレッグタイプのレオタード型ウエットスーツ。
A小学生の頃に当時のお姉さんたちの間で大流行した革製のロングブーツ。
Bスーパーの広告に出てたフロントファスナーのボディスーツ。などなど、です。
 いずれも丈夫な生地で、躰のカーブに沿っていて、着用感がタイトで、ファスナーを下げなければ脱げない物、という特徴を備えています。なぜそのような物を欲するようになったのかは、正直言って解らないですね……。

●最初の質問のご回答に、女装もラバーもベースにあるのは「自己愛」とお書きになっていました。板野さんはジェンダー(社会的性役割)は男性として、特に問題なく生きていらっしゃるわけですが、一方で、「女性的なビジュアルを持ちたい」という思いもあるわけですよね。そして、自己愛や性器化行動としてラバー女装をされていらっしゃいます。ここで私ごとですが、私はラバー女装をすると鏡の中にいるのが、ふだんの自分とはまったく違う別人に見えます。エロい変態女がいると見えるわけです。ここで注意したいのは、自分という個体はひとつでありながら、鏡の中にいるラバー変態女と、それをかなり興奮してみている変態男の自分というふたつの存在が生じている点です。肉体はひとつですが、もはやそれは脳(自我)を支配している変態男の自分とは別のモノです。ラバー女装することで、自分という対象物が完全に脳から切り離されて、肉体と脳髄というふたつの「存在」に分かれるのです。変態女になったおかげで、昼間のジェンダーにうんざりくたくたの本来の私=変態男はジェンダーから解放され、鏡の中の変態女も自由に操ることができるようになります(全能感)。これは相当にいい感じで、気分もハイになり、リフレッシュ、つまりカタルシスを得ます。板野さんはどうでしょうか。鏡の中の、ラバー女装した自分をどのように見ているんですか。そもそも板野さんはナルシストなのでしょうか? 私は自分はナルシストだと思います。そして、ナルシストというのは、宿命的に変態であることが多い気がします。
───そうですね、以前はかなり問題の多い生活をしていましたが、今はうまく自分をコントロールできるようになりました。わたしは間違いなくナルシストだと思います。鏡の前の時間がかなり長い人間で、女装にしてもラバーにしても、自分がイヤラシイかどうかではなく、理想的には「変態的」なのではなく「可愛らしく」ありたいとさえ考えています。ただ、年齢故にそのナルシズムのベースとなる自分の容姿がくたびれてきて、日の当たる場面からは引かざるを得なかった、と言うのも「コントロールできるようになった(しなければならなくなった)」理由の一つです。女装もラバーも、別人格化は全く出来ていません。どれだけテンパっても、「内側から一本で自分の躰の外を見ている」のみで、トランスフォーメイションとかマスカレードなのではなく、「これは自分を延長した先にある姿だ」と捉えています。カッコイイ言い方をすれば、それは「純化」なのだと思います。「純化」した先に「変態」があるのだとしたら、わたしは生まれついての「変態」である、という解釈でいいのだと思います。

●純化、ですか。ラバーで本来の自分に帰るということなんでしょうか。しかし、本来の自分が必ずしもラバーに行かず、たとえばサッカーだったり、飲酒だったり、ギャンブルだったりと、ほかにいろいろありますよね。それが、私たちは、幸か不幸かラバーなわけです。これってすごい、変ですよね。でも、なんで変なんでしょうかね? まわりの人はどう思っているんでしょうか? 私はとても気になります。板野さんは社会におけるラバーフェティシストという存在について、どうお考えですか?
───女装に関しては、歪んだカタチで発露しているとはいえ、もともと擦り込まれている物だと理解していました。それは私を含む女装者が女性の特徴・形質に対してことごとく敏感(過敏?)に反応するからで、女性の特徴を欲するのは、生物の雄としては正しいと思うからです。また、それらの人種は女装やラバー以外に音楽、演劇、オートバイ、といった感覚的な趣味を兼ねつつ共有することが多く、それらを大きく外側から一括りにして、一つの傾向を持った一種の「個体群」として捉えることが出来ると思うのです。つまりは、生物の統計学の範疇にあるのではないかと思っています。
その種の生物としてのアタリマエに要求されている生殖需要に対する、その個体が提供できる供給感覚のズレ……そのズレを持つ個体が一定数以上存在するのが、自然界の掟ではないでしょうか。つまり、ただ単に「標準偏差60%」の「外側の個体群」なのではないかと思うのです。そして、その「ズレ」そのものを、現代の人間社会の総合文化という媒体の上に平面的に展開して視覚化した物が、私にとってはラバーなのではないかと考えています。ですので、ラバーやその他の変態的な性欲は、60%の外側における「並列的な存在」なのではないでしょうか。それらをまったく持たない個体が多分「多数派」で一部ラバーだけを持つモノがいれば複数の変態性欲を持っている個体もある、ということだと思います。それらの間にある「差」は、ただ単に「ゆらぎ」という程度の物なのでしょう。それ故、ラバーは一つのキャンバスでしかあり得ない……のだとも考えることが出来ますよね。
 女装関係の友人で、ラバーの趣味を共有できている友人はいます。何人かこの趣味のことに関しては話しましたが、おそらくフツウの人に「ラバーってどう?!」と話しかけるのと同じで、ただ単に「好き」と「嫌い」に別れただけでした。もっとも、女装界の人間は「フツウの人」とは違って、そのようなことを話しかけたぐらいで、こちら側を軽蔑したりはしないですけどね。そうですねぇ……おたがいに「ファスナーの上げっこしようね」と言ってる人はいるのですが、いわゆる「フェティッシュ」を越えて「行為」のフェイズに行ける友人は、残念ながらまだいません。原因として考えられることは、また別で書きたいと思います。
 友人には、やはり話したことがあります。子供の頃からこういった感覚を共有したくて仕方がなかったので、相当仲がよくなった友人とは、今で言う「フェチ性」に関して話をすることも珍しくありませんでした。ただ、これも好き嫌いで、なかなか共感を得られる友人は少なかった(と言うかいなかった)と記憶しています。

●「「フェティッシュ」を越えて「行為」のフェイズに行ける友人は、残念ながらまだいない」といおっしゃる板野さんのその理由は分かる気がしますがそれはどうですか。ラバー女装のプレイとパートナーについてのお考えをお聞かせください。私はラバーを着てなにか行為をいたすパートナーも友人も同じくいないのです。それに現実問題そういう人がいても現実に実行に移すのは不可能なことでしょう。そんなことをすれば家族にたいへんな迷惑がかかるし、そのための金も時間も手持ち無しです。ただ板野さんが「残念ながら」というように、ラバープレイをできるような、そしてあれこれ気を使わなくてもすむ、感情移入しなくてもすむような対象者がいてくれたらなあ、ドラえもーん、そんな気分ではあります。
───えー、ドラえもんですか(笑) ラバリストとしては、移動時間が短縮でき、空間をとばして世間様から異様な姿を隠せる「どこでもドア」が欲しいですよね。さて、ラバーは一回着てしまうと、脱ぎたくなくなってしまいませんか? 私の場合は、3時間でも4時間でも、それこそ一日中でも着ていたいと思ってしまいます。快楽に溺れ続けて疲労も極限に達し、自分で脱げなくなるほど体力を奪われた次点で、かろうじて脱いで洗う、という感じですね。理想的には、衰弱して誰かに助けて貰わなくてはいけなくなるまで着続けていたいです。そんな私がかろうじて「すっきりできる」のは、「確かに私は、ふらふらになるまでラバーを着ていた」というごく近い過去の「手応えある事実」によって支えられている気持ち(大げさですね)であるように思うのです。「フェティッシュ」を越えて「行為」のフェイズ……というフレーズは、今思えば、 「フェティッシュ」から「ビザール」のほうが、この世界では適切かも知れません。語弊はあるかもしれませんが、フェティッシュは「平面的な物」、ビザールは「入り込む物」、というぐらい語感が違うような気がします。……そうですね、ラバーという趣味は意外と他人の介在の余地がない世界、なのかもしれないですね。「雑音」のない闇の世界に遊ぶ、という感じでしょうか……。去年だったか、初めて自分一人でホテルの部屋を借りてラバーを着たのですが、一人でやってもなぁ……という気持ちで始めたわりには、自分の世界に完全に没頭することが出来て、とても良い経験が出来ました。そういう意味で、他人の存在というのは前述の「雑音」になり得るとも考えられますね。
 ただ、それが雑音になり得る理由には、
@時間も機会も限られる立場故に、同席していただく方に対して、一緒にいて心地よいと感じるほどの友情または愛情を持ち得ることが難しいこと
A親しい友人同士であっても病気などの不安要因が払拭できないこと……つまり体液の接触に対する考え方が、なかなか感覚として横並びに揃わないこと
Bフェティッシュは好きだけど、ビザールまではちょっと……というように、ラバー着用に対する考え方自体が、そもそもなかなか水平に揃わないこと
……などの要因が大きく作用していると感じます。市川さんの言われる「現実に実行に移すことが不可能」ということの中身をひも解いてみれば、インフラなどによって制限されている物は意外と少なく、人材的な部分に依ることの方が多いように思います。日本では実践派のラバリストよりも和気藹々としたフェティッシュパーティー系の方の方が圧倒的に多いように思いますし、その多数派である「ラバーフェティシスト」という母数自体が小さいですから、その中でリアルに交遊できる人間に出会える機会もまた、奇跡的な子数になる、ということだと思うのです。そういう理由で、数少ない機会を生かそうと、市川さんにもメールさせていただいた次第なのです。
 ラバーのほんとうの醍醐味は、DeMaskのボス(スティーブ・イングリッシュ)が言うように「ダーティーラバーセックス」にあるのだと思います。内側にも外側にもシースを用いて完全に体液をシールドしたスーツで、アイコンタクトで気に入った同士が次々と「交流」する……。そういう感覚を共有できる人が身近にいないということも、現状で他人が介在し難い理由の一つだと思います。紛れもなく性欲の一つである以上、性行為は重要なファクターとなるのは自然なことです。それを安全に行えるという事が担保されない以上、「世界」の「完成」や「達成」は難しくなるのではないでしょうか。逆に言えば、前出の条件を全てクリアできれば、理想的なプレイパートナー、もしくは友人に出会うことが出来るという事だと思います。市川さんの言う「感情移入しなくてすむ相手」というのも一つの純化されたニーズだと思います。一人一人がラバープレイに対する考え方を成熟させていないと難しかも知れませんが……ここら辺は、欧州のラバリストのパーティっぽい感じなのでしょうか? 「ダーティラバーセックス・パーティー」には、このようなパートナーこそ適していると思います。体液を完全にラバーでシールドした「交わって遊ぶ」と割り切った意識のある常識人……という感じでしょうか。そういう方が10人も揃えば、とても楽しいでしょうね。
 ただ、個人的に1対1もしくは少人数で遊ぶ場合には、お互いを気遣える分厚い友情とか積年の信頼関係が欲しいですね。「親しい友人に犯される」というのも、すてきなシチュエーションだと思います。

●ダーティーラバーセックス……はじめて聞きました。すごいですね。今エイズがじつはたいへんな問題になっているのですが、あまり認知されていません。性感染症もそうですが、結局体液というのがリスクなんですよね。体液がふれあって、その過程で菌が感染する。だったら、体液が漏れたり触れたりしないように身体を密閉状態にして他人と肉体的に交わればいいんじゃないか。これってすごい合理的です。「シース」といってラバー製のゴムの袋をBLACKSTYLEが作っています。BLACKSTYLEは、グローブはもとより、マスク、そして足の指ひとつひとつも包む五本指のソックスなど、身体の凹凸すべてをラバーで包み込むことをめざしているように思えます。その究極がシースです。ペニスをラバーで、その形を強調しつつ、包み込んでしまいます。ダーティーラバーセックスではそのシースも必需品ですよね。身体の大部分と手やマスクががっしりした黒のラバーで覆われているというのに、ペニスだけがつるっと肌色で、しかも薄いコンドームだったら絶対しっくり来ないですからね。シースは余談ですが、ある意味ものすごいビジュアルを手に入れるための人類の闘いはまだまだ続いていると思いました。

───さて、みなさん。人の助けを得ないと動けなくなるほど疲弊しきってはじめて、真のラバーによるカタルシスを得られるという板野さん、いかがでしたか? 板野さんは男性のジェンダーをまっとうしている普通の常識人です。しかしこうして年に数回、ひとりでラバーマスクをかぶって、その目にはアイシャドーを、唇には口紅をひくわけです。ラバー女装の実践。板野さんはそのとき、最高のカタルシスを獲得します。

 

 
 
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