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滝とフェティシズム──一体感がもたらす不思議な力
滝。先日、渓谷の奥に荘厳としたおもむきで岩を打つ滝を見た。深い緑色の滝壺に立ち上る瀑布を眺めながら、私は気が付くと、滝壺へとまっしぐらに落下する水滴のひとつになっていた。岸から眺めている自分の意識が、まるで滝のパワフルなビジュアルとサウンドに吸い込まれ滝に憑依。スッキリ! 滝に一体化した瞬間だ。
ところで、ヌメヌメと光るラバーのガスマスクをかぶってもうろうとしているドイツ人女優を眺めていると(http://www.alt-fetish.com/movie/1003/1003c1.jpg)、そのうち自分の皮膚もマスクで被われているかのような錯覚に陥り、強い興奮を感じる。女優が画面の向こうで、足と手を拘束され、椅子に固定されてブーツなど履いていればなおさらのこと。自分の手足も固定されているように感じられれば、ますます気分は高まる。きたきた! ──フェティッシュな対象物に一体化した最高の瞬間だ。
この「エロさ」は、意識が対象に入り込むことによってはじめて起こりうる。言い方を替えると、意識を対象(この場合は束縛された女優)に集中させ一体化する。
そうすることにより、刹那、自分がまるで「フェティッシュ」そのものになったかのような状態になり、そこで著しい興奮が起こる。セックスと違って、物理的に気持ちいいのではなく、頭で考えることから出発し、最後にオルガスムに達するまで頭だけで、あくまで肉体的刺激は補助的なものに留まるという点で、フェティシズムはまさしく「ヒト」と「動物」を区別する「知」の核心といえるだろう。オナニーは。
それどころか、オナニーは動物的なヒトと、先進国の裕福な文化人を区別する証ですらある。というのも、フィリピンのゴミの山で暮らすある女性は、日本のNGOが持ってきたミシン縫いの仕事のおかげで「夜、仕事に集中するので、子供が増えなくなって大助かり」と言っている。ミシン縫いという生産性の高い活動を行う以前は、この女性はひたすら旦那とセックスしていたわけで、セックスから生産活動へと進化を遂げた。
こうなると彼女が、フェティッシュ・オナニーによって真の文明開化を遂げる日が近いということは誰の目から見ても明らかだ。もっともそのころには、その旦那とはとっくに離婚していることだろうが。2001.7.14▲ |
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