ディディの物語 自己紹介編
私の名前はディディ。女ラバリストよ。雑誌に、女の人の性ではラバーフェチシズムはほとんどないって書いてあるのを見たときは思わず笑ってしまったわ。だって私は自分の身体が、美しいラバーにすごく敏感に反応し、夢中になっていることをずいぶん前から知っていたから。こんな私の話を聞いてくれる?
私は子供時代、奴隷について書かれたすべての本を読みまくった。そういう読書経験が、発展段階にあったわたしの性的傾向に少なからぬ影響をもたらしたようね。最初のラバーの思い出は、私が確か5〜6歳の頃だった。当時私の家族は、まとまった休暇になるときまって祖父母の家に集まってたの。私の祖父は退役軍人で熱心な軍事マニアだった。軍隊についての資料や色々なものをたくさんコレクションしていたわ。なかでも私の心に強いインパクトを残したのが、第二次世界大戦に参戦したほとんどの国のガスマスクの膨大なコレクション。祖父は私をこっそり彼のコレクションルームへ連れていって、帽子をかぶって剣士のまねごとをしたり、家のまわりを走り回って祖母を驚かせたりして何時間も遊んだ。私はガスマスクをつけるのがとりわけ好きだった。それで、父がそのコレクションルームから私を引っぱり出して家につれて帰るまで、お気に入りのガスマスクをかぶっては恍惚とした時を過ごした。ガスマスクをつけたときのあのゴムの匂いの強烈なこと! 決して忘れられない。私は、ガスマスク姿になってくぐもった声を出してみたり、まるで別世界の生き物のように見える自分の姿を鏡に映して眺めるのが大好きだった。いうまでもなく祖父の死語、私はそれらのガスマスクを譲り受けることにした。祖父は、自分の集めたガスマスクが、孫娘の性をどれほど豊かにしているか、きっと天国で見てびっくりしてるんじゃないかしら。いくつかのガスマスクはもっとエグくて強烈なビザール体験を追求するために私が自分で改造したわ。呼吸のコントロールをしたり、管をつけて外から食べ物や液体を入れられるようにね。同じ趣味を持つ人なら、ピンとくるんじゃないかしら。
ラバーについてのもう一つの思い出は、黄色いゴムのレインコートとブーツ。夏のはじめの蒸し暑い雨の日に、小学校に通う道すがら、レインコートでこもった身体の熱と、首筋から出てくる自分の体臭が最高にすばらしかった。このなま暖かい自分の匂いに包まれているときは、なぜか安心して、優しく守られているという気分になれたの。
男の子とデートするほどの年頃になるまで、他にラバーのことで覚えていることはなかった。私はセックスショップが町にあふれるアムステルダムで育ったんだけれども、19歳の誕生日の2日後に出会ったゴージャスなスウェーデン人とつきあい始めるまで、セックスショップへ足を踏み入れたことはなかった。彼は学生で、セックスショップでバイトしていた。それについて私はおかしいとか、いやだとかは特に思わなかった。彼と過ごした月日は、その後の私の人生にとんでもなく巨大な、深い影響を与えた。一言で言うと、それは彼があるとき私になにげなく見せてくれたジョン・サトクリフ(著名なビザール誌の編集者)の「アトムエージ」という雑誌との出会いだった。その雑誌に載っていた一枚の写真。そこには、革のフードをかぶせられ目隠しと猿ぐつわをされ、つま先から頭のてっぺんまでギチギチの編み上げの革のキャットスーツを着させられた女性が写っていた。それを見たときの私の身体はびんびんにしびれていた。自分の身体が、一枚の写真を見ただけでこんなにも反応することを、私はそのときまで知らなかった。確かに私は、レザーのパンツをきつく履いている人を見たり、自分もはくのが好きだった。けれども、それがここまですごい興奮を私にもたらすとは思っても見なかった。私はまさにその瞬間、これこそ私のセックスであり、「私もこんな格好をしてみたい!」って心底思ったの。でも本当に私にスリルを与えてくれるのは革じゃなくてラバーだった。スウェーデン人の彼は私にピッタリのラバーアイテムを買ってくれたわ。ブラ、ストッキング、サスペンダーベルト、ブルマなど。彼は単純に、ちょっとエッチな格好をした私とファックすることが嬉しかったみたいだけど、私にとってそれらのアイテムを身に着けることは、彼のそんな興奮をはるかに上回っていた。私は彼を置き去りにしてどんどん自分の固有の性癖の中に耽溺するようになった。手に入るお金は全部、シールウェアーとかレマウェアーといったロンドンのショップのラバーアイテムにつぎ込んだ。それから私は、自分から積極的に私の変態的な性志向のあう人と出会うようになったの。
私は24歳の時に、新創刊した旅行雑誌の写真記者の仕事に就いた。その仕事のおかげで、費用は会社持ちでヨーロッパじゅうを旅行することが出来たわ。私は何人かのラバリストと文通して、旅行の合間にもじつにさまざまな変態プレイを楽しむ人やカップルと出会うことが出来た。その間にも、私のワードロープにはラバーアイテムがどんどん増えていった。そのころから私は自分や頼んだ知人の写真を撮って、ウェブサイトに掲載しはじめた。
それから十年後のいま、私はもはや写真記者ではないの。その代わり、私はいま自分がいちばん気に入ったもの、フェティシズムとラバーセックスを撮っているわ。私のクローゼットは黒のラバーアイテムでいっぱい。旅行カバンには大量のピンヒールやブーツが入っているし、ウォークインクローゼットはさまざまなボンデージ装置や変態器具であふれかえっている。それらのアイテムの90%は、アムステルダムのDEMASKで買ってるわ。DEMASKは品質も高く、何よりその緊張感あふれるスタイリングをたまらなく気に入っている。DEMASKはその代わりに私にこうしたコラムを発表する場所を彼らのホームページ内に提供してくれたの。これからも、インターネットを通じて世界中の個人やカップルとメールのやりとりをしたいわ。私と同じように、完全にラバーのとりこになった人から、ラバーの服を着る喜びを知り始めて間もない人まで、たくさんの人と話したい。 そんなわけで、次は私のラバー体験をお話しするわ。どうぞお楽しみに。
出典:http://www.demask.com/didi/
【解説】
人が変態になるのに、性別は関係ないようだ。幼少時の強烈なインスピレーションが人をフェチに目覚めさせ、その後の度重なる変態行動の履行が人を確固たる真性フェティシストに育てる。
このコラムでは知る人ぞ知るジョン・サトクリフの「アトムエージ」のボンデージ写真が彼女の性の遍歴において決定的に重要な役割を果たしたことが分かる。
私たちも、マーキスの雑誌やビデオを見て「自分もこんな格好をしたい」と強烈に思うことがあるが、ディディはそれをことごとく実行に移した。その結果クローゼットはラバーアイテムでいっぱいになり、次回以降にお送りするプレイの告白手記で明らかなように、男顔負けのラバー性欲の権化と化した。至極単純な話だが、嬉しく、興奮する話だと思う。ラバリストは自分だけ、日本だけ、男だけの話じゃないってことが、理屈抜きに嬉しい。
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