ファティーグ 1号 ファティーグ 2号
Topへ戻る
原題:MARQUIS No.45雑誌 132p(オールカラー)MARQUIS2009年 ドイツ大きさ:A4修正個所あり
バイバイ、ベティ・ペイジ──。彼女自身、自分が有名だという自覚はなかったようだが、今日のバーレスクやフェティッシュカルチャームーブメントは、彼女の存在なくしてあり得ない。 ナッシュビルに1923年に生まれたベティは、自動車工だった実父から、ふたりの姉妹ともども、性的虐待を受けていたと告白している。両親は程なくして離婚。13歳になって初潮を迎えたベティは、自分が死ぬんじゃないかと恐れおののいた。その出血について説明してくれる身内は、彼女のまわりに一人もいなかった。孤独なベティーの思春期を象徴するエピソードである。 あるカメラマンがコニー島で彼女を見いだすまでのあいだ、ベティは秘書や教師の仕事をしていた。その後アーヴィング・クロウとの出会いが彼女の人生に劇的ブレイクスルーをもたらした。クロウは、ベティの姉妹ポーラとベティを撮影したピンナップフォトを通信販売するビジネスを始めた。クロウのカメラの前で、ベティは今日已然としてその凛然たる輝きを失うことのないフェティッシュイコンそのものとなった。 以後作られた数千枚の写真と8ミリフィルムは、1950年代のお堅い紳士淑女気取りのアメリカに激震をもたらしたのである。2008年12月、ベティはロスアンジェルス郊外の自宅で、静かにその生涯の幕を下ろした。享年85歳だった。 現代のベティ・ペイジ、それはディータ・ヴォン・ティーズである。彼女のおかげでフェティッシュなテイストをメインファッション、ハイファッションも無視できなくなった。ディータ独自のフェティッシュイコンの哲学は、ハイファッションとフェティッシュイメージの橋渡しをした。 ロンドンから悪いニュースが。「広告費で定期刊行出版物の事業が成り立たなくなってきた」と、スキン・ツーのティム・ウッドワード。すべてのフェティッシュマガジンのマザーともいうべき英スキン・ツー誌が、季刊から年一回へと刊行機関が大幅に伸びることになっった。フェティッシュカンパニーは、小資本で、キャッシュフローに恵まれない会社がほとんどすべてである。昨今の不況で、事態は最悪だ。年一回のスキン・ツーに引き続き期待を寄せるにしても、私たちはすでに、過去にその名をこの世界へ響かせてきた「リチュアル」「ザイトガイスト」「バックル」各誌はすでに忘却の彼方である。MARQUISが、この世界で唯一生き残った「フェティッシュ雑誌」になるのも時間の問題だ。さあ、読者諸兄の皆様、定期購読してください! いますぐ。ピーター・W・ツェルニヒ
ビザールやSMという枠から頭ひとつ出た感じの、前衛的なアートビジュアルマガジン。今号は、カナダ出身のラバーファッションモデル、ビアンカ・ビショップの写真がたくさん見られるぞ。 フェティッシュ特集とインタビュー、記事5本 フェティッシュ・ファッション、記事6本 フェティッシュ・ストーリー、小説一本 フェティッシュ・アート、2作家 フェティッシュ・フォト、7作家 コラムとセクション、記事5本 フェティッシュアートとメディア……本、DVD、CDなどフェティッシュアートの新作レビュー。 フェティッシュパーティーとアクション……世界中のフェティッシュイベント・パーティーレポート。
©Marquis/Czernich